皇甫冉
略歴
編集南方の丹陽郡に移住し、農耕と釣りの日々を送っていたが、張九齢に才能を認められた。玄宗の天宝15載(756年)、進士に及第、無錫の尉となり、代宗の大暦元年(766年)には河南節度使の書記、次いで左拾遺・右補闕を歴任した。
現在『唐皇甫冉詩集』が残っている。
詩人としての彼
編集作品に、『曽山送別(そうざんそうべつ)』(七言絶句)がある。
曽山送別 | |
凄凄遊子苦飄蓬 | 凄凄(せいせい)たる遊子(ゆうし) 飄蓬(ひょうほう)を苦しむ |
明月清樽祇暫同 | 明月 清樽(せいそん) 祇(た)だ暫くは同(とも)にせん |
南望千山如黛色 | 南のかた千山(せんざん)を望めば黛色(たいしょく)の如し |
愁君客路在其中 | 愁う 君が客路(かくろ)の其の中(うち)に在るを |