皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう:生没年不詳)は、平安時代末期の女流歌人。父は源俊隆。大蔵卿源師隆の孫にあたる。
崇徳天皇の中宮皇嘉門院藤原聖子(摂政藤原忠通の娘)に仕えた。皇嘉門院聖子が忠通の子で兼実の姉であることから、1175年(安元元年)の『右大臣兼実家歌合』や1178年(治承2年)の『右大臣家百首』など、兼実に関係する歌の場に歌を残している。1182年(養和元年)皇嘉門院聖子が没したときにはすでに出家していた。
『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に入集している。小倉百人一首から
88番 難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき — 皇嘉門院別当、『千載和歌集』恋三806
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