的場勇人
的場 勇人(まとば はやと、1987年11月28日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の美浦トレーニングセンターに所属する騎手(フリー)。父は元騎手で調教師の的場均、兄は父のバレットを務めていた。祖父は元調教師の柄崎義信、伯父は元調教師の柄崎孝、従兄弟に元騎手で調教師の柄崎将寿がいる。
的場勇人 | |
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東京6Rパドック(2023年10月29日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県 |
生年月日 | 1987年11月28日(37歳) |
身長 | 166cm |
体重 | 49kg |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 2006年 |
免許区分 | 平地・障害[1] |
経歴 | |
所属 | 美浦・的場均→フリー |
来歴
編集父・均が騎手ということから幼少時より馬への関心を持ち、ライスシャワーに騎乗し1995年の天皇賞(春)を制覇した均を見て、騎手を目指すようになる[2]。
その11年後の2006年、騎手免許を取得し父・的場均厩舎所属の騎手としてデビューを果たす。同期には北村友一、田中克典、田中博康らがいる。
この年12勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞。以降も着実に騎乗数と勝利数を伸ばし続け、2010年には「減量も無くなったし行くなら早いうちがいい」「精神的なものを一から見直したい」と7月中旬より2か月半に渡るアイルランド研修を行う[3]。
当地ジョン・オックス調教師のもとでの研修は調教業務中心となり、実戦騎乗はカラ競馬場での1レースのみに終わるも、帰国後の騎乗において「技術的な面と精神的な面の両方で、経験が生きているなって凄く感じます」とコメントを残している[4]。
2009年12月5日、中山第4競走でユドロに騎乗し1着、JRA通算100勝を達成した[5]。
2014年4月1日付けでフリーとなる[6]。
騎乗成績
編集年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
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2006年 | 12 | 8 | 10 | 278 | .043 | .072 | .108 |
2007年 | 27 | 27 | 29 | 478 | .056 | .113 | .174 |
2008年 | 32 | 35 | 26 | 572 | .056 | .117 | .163 |
2009年 | 32 | 25 | 26 | 448 | .071 | .127 | .185 |
2010年 | 18 | 21 | 18 | 361 | .050 | .108 | .158 |
2011年 | 8 | 14 | 13 | 288 | .028 | .076 | .122 |
中央 | 129 | 130 | 122 | 2425 | .053 | .107 | .157 |
地方 | 0 | 1 | 0 | 9 | .000 | .111 | .111 |
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 2006年3月4日 | 2回中山3日2R | 3歳未勝利 | ボビン | 15頭 | 8 | 9着 |
初勝利 | 2006年3月11日 | 2回中山5日1R | 3歳未勝利 | リキアイカザン | 15頭 | 2 | 1着 |
重賞初騎乗 | 2006年8月27日 | 1回札幌6日9R | キーンランドカップ | サムソンハッピー | 16頭 | 15 | 14着 |
GI初騎乗 | 2008年5月18日 | 2回東京8日11R | ヴィクトリアマイル | タニノハイクレア | 18頭 | 14 | 10着 |
脚注
編集- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
- ^ 【騎手合格者インタビュー】的場勇人君
- ^ 的場騎手インタビュー(研修前)
- ^ 的場騎手インタビュー(研修後)
- ^ “的場勇人騎手、JRA通算100勝達成 | 競馬実況web | ラジオNIKKEI”. keiba.radionikkei.jp. 2021年8月27日閲覧。
- ^ “的場勇人騎手、フリーに”. ラジオNIKKEI. (2014年3月28日) 2014年9月6日閲覧。