百足城
百足城(むかでじょう)は、岐阜県飛騨市古川町高野にあった日本の城(平山城)。姉小路家一門の城と考えられている。別名垣内山城[1]。
百足城 (岐阜県) | |
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別名 | 垣内山城 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 姉小路古川氏?、三木氏? |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、石垣等 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯36度13分50.5秒 東経137度10分47.3秒 / 北緯36.230694度 東経137.179806度座標: 北緯36度13分50.5秒 東経137度10分47.3秒 / 北緯36.230694度 東経137.179806度 |
地図 |
概要・歴史
編集姉小路高綱の隠居城といわれる[要出典]。享保年間(1716年-1736年)の飛騨国代官・長谷川忠崇が編纂した『飛州志』に記載があり、古くから城跡として認識されてはいたが、同書には「百足城。同村(古川郷高野村)ニアリ、來由未詳。」としか書かれていない[2]。このため城主や築城年代は確定していないが、姉小路家古川氏の城とされる古川城の1キロメートル以内に位置するため、古川城の支城とも考えられている[3]。
城郭
編集土塁、郭、堀、虎口、櫓台が残る[要出典]。城地図にて櫓台は北櫓台と南櫓台がある[要出典]。
2017年(平成29年)度の飛騨市教育委員会による試掘調査では石垣が検出されている。石垣の構築法が金森氏による織豊時代の石垣と異なることから、姉小路氏による築城か、後の三木氏による改修があった可能性が推定されている[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 長谷川忠崇『飛州志』巻6 p.182(岡村利平 1909『飛騨叢書.1』所収)住伊書店(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 文化財保護センター 2007「特集飛騨の山城」『きずな49号』p.4 岐阜県教育文化財団
- 飛騨市教育委員会 2019『飛騨市文化財調査報告書14(飛騨市遺跡詳細分布調査報告)』p.110 飛騨市