百瀬興政
百瀬 興政(ももせ おきまさ、1868年10月27日〈明治元年9月12日[1]〉- 1939年〈昭和14年〉4月21日[1][2])は、長野県出身の医師、政治家。松本市長。旧姓・柳野。
経歴
編集信濃国松本城下(現:長野県松本市)に松本藩士・柳野興一の次男として生まれ、百瀬元章の養子となる[2]。1888年(明治21年)東京帝国大学医科大学別科を卒業[3]。翌年、松本に医院を開業[3]。医院を経営する傍ら、従兄弟の木下尚江[4]らとともに普選運動や禁酒運動に参加する。1901年(明治34年)東筑摩郡看護婦会を組織する[2]。1922年(大正11年)5月1日、松本信用組合(現:松本信用金庫)を設立し組合長に就任[2]。
1898年(明治31年)松本町会議員に当選[3]。1910年(明治43年)以来、松本市会議員を4期務め、大正10年から14年まで、議長も経験する[5][2]。その後、長野県会に出馬し、1927年(昭和2年)の初当選以来、県会議員を3期務める[2][3]。1937年(昭和12年)8月、松本市長に就任[3][6]。1938年(昭和13年)1月、市章を制定した[6]。在任中の1939年(昭和14年)に没した[2][6]。
脚注
編集参考文献
編集- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 別篇 人名編』東筑摩郡・松本市・塩尻市郷土資料編纂会、1982年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。