百済王 忠宗(くだらのこにきし ちゅうそう)は、平安時代初期の貴族。位階は従四位上。
桓武朝にて従五位下に叙爵後、延暦23年(804年)伊予介に任ぜられる。
平城朝での動静は不明だが、嵯峨朝に入ると少納言兼左兵衛佐に任ぜられる一方で、弘仁4年(813年)従五位上、弘仁5年(814年)正五位下と昇進した。
淳和朝の天長6年(829年)従四位上に至るが、翌天長7年(830年)5月18日卒去。最終位階は従四位上。
『日本後紀』による。