白河街道(しらかわかいどう)は、陸奥国会津若松と同国の白河を結ぶ街道である。会津若松と奥州街道を結んでいた。会津東街道(あいづひがしかいどう)とも称した。

福良宿の空中写真
見事な直角を描く福良宿の白河街道。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1976年撮影)

概要

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現在の福島県会津地方と中通り地方南部を結ぶ。また、現代の交通路では、国道294号に相当する。新潟などの地域と江戸を結ぶ街道としても利用され、脇街道にもあげられる。道中には滝沢本陣があった。越後街道などと並び、新発田藩村上藩参勤交代に利用された[1]

歴史

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1545年蘆名氏によって勢至堂峠経由の街道が開かれる。その後、加藤嘉明は従前の背炙山を経由する街道を滝沢峠経由に改修した。豊臣秀吉奥州仕置の際に利用したほか、蒲生氏郷も本街道で会津入りをした[2]

宿場

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  • 会津若松 (福島県会津若松市)
  • 金堀宿 (福島県会津若松市)
  • 赤井宿 (福島県会津若松市)
  • 原宿 (福島県会津若松市)
  • 赤津宿 (福島県郡山市)
  • 福良宿 (福島県郡山市)
  • 三代宿 (福島県郡山市)
  • 勢至堂宿 (福島県須賀川市)
  • 長沼宿 (福島県須賀川市)
  • 江花宿 (福島県須賀川市)
  • 牧の内宿 (福島県岩瀬郡天栄村)
  • 上小屋宿 (福島県白河市)
  • 飯土用宿 (福島県白河市)
  • 白河 (福島県白河市)

その他

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主な峠

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脚注

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関連項目

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