白十字堂
大正から昭和にかけて東京の各所に支店を展開した喫茶・洋菓子店
歴史
編集アメリカで近代式経営法を体得し、かつ広告学を修めた田口善一[1]が、同じくアメリカ帰りの職人を雇って1919年(大正8年)東京市本郷東片町に創業した。当初は洋生菓子などの製造卸のみであったが、赤字が続いたため4年目から喫茶区画を併設した小売店を神田三崎町に開いた。広告学を応用した明るく綺麗な店舗には、まず西洋人が来店し始め、その後日本人にも客層が広がっていった。関東大震災後、東京の復興とともに加速した西洋化の波に乗って繁盛し、1930年(昭和5年)には帝大正門前(本郷区)の本店を筆頭に、小石川駕籠町、神楽坂、浅草、日本橋、神田、四谷塩町、新宿三丁目[2]に直営店を構え、ほかにも田口の友人が任されていた店舗が4つあった。
店名の「白十字」は、一度聞けば絶対に忘れず、かつ好感をもって受け取られるとのことで名付けられたもので、また暗に創業者田口の出身地である薩摩(島津家家紋)を象徴している。
脚注
編集参考文献
編集- 市来政尚『三州名士録大鑑 上巻』三州名士録刊行会、1930年。