畠山重秀
鎌倉時代前期の武蔵国の武将・御家人。畠山重忠の次男
畠山 重秀(はたけやま しげひで)は、鎌倉時代前期の武蔵国の武将・御家人。畠山氏の一族。通称は小次郎。
時代 | 鎌倉時代前期 |
---|---|
生誕 | 寿永2年(1183年) |
死没 | 元久2年6月22日(1205年7月10日) |
別名 | 小次郎(通称) |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼朝→源頼家→源実朝 |
氏族 | 畠山氏 |
父母 | 畠山重忠、足立遠元娘 |
兄弟 |
重秀、重保、井田重政、円耀、重慶、 宮之原重俊、貞嶽夫人、足利義純室?、 目黒重行、中根重晴、中根重勝、重国 |
略歴
編集畠山氏の嫡男であった異母弟重保が発端となって起こった畠山重忠の乱では、父重忠と共に少数の兵で幕府の大軍と戦った。先陣を切った幕府方の安達景盛を相手に奮戦するが、重忠が討ち死にすると、郎従らと共に自害した。享年23。
子孫は後世後北条氏に仕えたとされる。