町田駅 (大分県)

かつて大分県九重町にあった日本国有鉄道の鉄道駅

町田駅(まちだえき)は、かつて大分県玖珠郡九重町大字町田にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線廃駅)である。

町田駅
駅名標(2014年11月)
まちだ
Machida
恵良 (4.7 km)
(2.6 km) 宝泉寺
地図
所在地 大分県玖珠郡九重町大字町田
北緯33度12分56.4秒 東経131度10分20.8秒 / 北緯33.215667度 東経131.172444度 / 33.215667; 131.172444座標: 北緯33度12分56.4秒 東経131度10分20.8秒 / 北緯33.215667度 東経131.172444度 / 33.215667; 131.172444
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 宮原線
キロ程 4.7 km(恵良起点)
電報略号 マチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1937年昭和12年)6月27日[1]
廃止年月日 1984年(昭和59年)12月1日[1]
備考 無人駅
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歴史

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年表

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国鉄原町田駅との関係

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廃止になる前の1980年4月1日横浜線の原町田駅が町田駅に改称しているが、当時の国鉄側は当駅の存在を理由に難色を示した。しかし大下勝正町田市長(当時)が福島駅(福島県大阪府にそれぞれ所在した)の重複を挙げて反論し、改名に至った。結果「横浜線町田駅」が成立した1980年より1984年の当駅廃止までの4年8ヵ月の間、「国鉄町田駅」は合わせて2箇所に存在していたことになる。

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。

利用状況

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廃止前の各年度の1日平均乗車人員は以下の通りである。

年度 1日平均
乗車人員[注釈 1]
1975年(昭和50年) [県統計 1]127
1980年(昭和55年) [県統計 2]92
1984年(昭和59年) [県統計 3][注釈 2]58

遺構

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ホーム跡(2014年11月)

駅跡にプラットホーム駅名標が残る。

すぐ下を通る国道387号の道路脇(町田バス停横)に、『町田駅 MACHIDA STN. →』と表記された錆びついた案内板が残っている。

しかし、国道387号のバイパス工事(道路拡幅工事)により、ホームは半分ほど埋められてしまっている。当駅の前後の線路跡を含む3.3km区間には、2013年11月6日に町田バイパスが開通している[6]

隣の駅

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日本国有鉄道
宮原線
恵良駅 - 町田駅 - 宝泉寺駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 大分県統計年鑑には年間の数字が記載されているため、365または366により除して四捨五入により算定している。
  2. ^ 昭和59年度の数字は、昭和59年4月1日から昭和59年11月30日までの営業日の日数(244日)で数字を除している。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、743頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 宮原線恵良-宝泉寺間が開通『福岡日日新聞』(昭和12年6月25日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p44 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 「西部支社一四駅を民間委託」『交通新聞』交通協力会、1962年4月1日、1面。
  4. ^ “日本国有鉄道公示第52号”. 官報. (1974年5月17日) 
  5. ^ 「通報 ●宮原線町田駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1974年5月17日、1面。
  6. ^ 町田バイパス開通式 「安全安心な道路に」 大分合同新聞、2013年11月7日(archive版)
大分県統計年鑑

関連項目

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