甲陽史学会
沿革
編集甲陽史学会は、石造美術を専門とする田岡香逸、考古学者の高井悌三郎、日本近代史研究者の宮川秀一により1947年(昭和22年)に結成され、兵庫県を中心に調査、研究を行ってきた[1]。田岡香逸の住まいが甲山の真南にあったこと、高井悌三郎、宮川秀一が甲陽学院中・高教諭であったことが名前の由来である。
加西市(現在)の一帯は飛鳥時代後期(白鳳期)の古代寺院が多くあり、この白鳳仏の調査が一つの結集核となっていた。歴史学者の脇田晴子が初期の頃から関係していた[2]。
笠谷和比古、田辺征夫、東野治之、脇田晴子などの著名な歴史学者を輩出した。
重要遺跡などの調査、研究でメディアの注目を集めることも多く、1985年(昭和60年)の結成40周年の際には『”40歳”を祝う甲陽史学会』と題して毎日新聞で報道された[3]。
現在は甲陽学院中学・高校の研究組織である。阪神間の歴史や地域学を中心に研究する。宇津保文庫の調査、六甲山麓遺跡調査、朝鮮半島にある倭城の研究などで業績を上げている。
活動
編集白鳳仏、伊丹廃寺、播磨古法華山石仏の発掘調査、研究など地域学の方面で業績を残してきた。現地調査や発掘調査の結果、兵庫県さらには国の文化財に指定されたものも少なくなく、加西市の古法華三尊石仏[4]、野条廃寺跡[5]、伊丹市の伊丹廃寺跡[6][7]、氷上郡市島町の三ッ塚廃寺跡、小野市の広渡廃寺跡などが例として挙げられる。
出版物
編集- 『甲陽史学会研究報告』一~三
- 『甲陽史学』一~五
- 『甲陽文庫資料集』一~七
- 『兵庫県資料集影』一~四
- 『甲陽史学会彙報』一~四
- 『甲陽史学会著作目録』
- 『播磨古法華山石仏と繁昌天神森石仏』
- 『常陸台渡廃寺跡・下総結城八幡瓦窯跡』
- 『常陸富谷藥師台瓦窯址の調査』
- 『甲陽高等商業学校・甲陽工業専門学校校史資料集』
- 『甲陽学院所蔵旧「宇津保文庫」考古資料目録』
関連項目
編集脚注
編集- ^ 『甲陽史学会 著作目録』-「あとがき」
- ^ 『甲陽史学会 著作目録』-「甲陽史学会初期のころと私」
- ^ 甲陽だより第42号(昭和60年9月) (PDF)
- ^ “古法華寺石造浮彫如来像及び両脇侍像”. 多聞寺. 2016年7月27日閲覧。
- ^ “文化財調査 兵庫県加西市”. 加西市. 2016年7月27日閲覧。
- ^ “資料2”. 小西酒造. 2016年7月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “bunkazai”. 西山レク企画. 2016年7月27日閲覧。