田村酒造場
東京都福生市の酒造会社
田村酒造場(たむらしゅぞうじょう)は、東京都福生市福生に本社および工場を置く日本の酒造業者。現在、東京にて伝統を守っている10軒の酒造業者の一つである。
種類 | 個人事業 |
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本社所在地 |
日本 〒197-0011 東京都福生市福生626番地 |
設立 | 1822年(文政5年) |
業種 | 食料品 |
事業内容 | 酒造業 |
代表者 | 田村半十郎 |
従業員数 | 15名、パート・臨時等3名 |
外部リンク | http://www.seishu-kasen.com/ |
特記事項:酒造蔵、前蔵、雑蔵など5件が国の登録有形文化財(建造物)に登録される |
概要
編集田村家は代々、武蔵国多摩郡福生村(現・福生市)の名主を務めた家柄で、17世紀後半(元禄時代頃)の古文書に先祖「半十郎 豊真」の名が確認される旧家である。歴代の当主は半十郎・十兵衛・文左衛門という通称を名乗っていた。江戸時代の福生村は幕府領で、田村家は村の政治一般を司る村役を務めていた。田村酒造場は、1822年(文政5年)、9代目・田村勘次郎(賢真)が酒造業を興したのに始まり、「嘉泉」ブランドの日本酒を醸造販売する老舗酒造メーカーである[1][2]。
- 「嘉泉」の由来
1822年(文政5年)、9代目・田村勘次郎が造り酒屋を始めるに当たって、敷地内各所で井戸を掘ったところ、大欅(おおけやき)の根元から泉が湧き出したため、これにちなんで酒銘を「嘉泉」と名付けられた。この井戸水は創業以来、仕込み水として使われている[1]。
沿革
編集- 17世紀後半(元禄時代頃) - 始祖・田村半十郎(豊真)、武蔵国多摩郡福生村(現・福生市)を切り開く。江戸時代の福生村は幕府領で、田村家は名主などの村役を務めた。
- 1804年(享和4年) - 9代目・田村勘次郎(賢真)、名主を継ぐ。
- 1822年(文政5年) - 9代目・田村勘次郎(賢真)、46歳の時に酒造業を興し創業者となる。後に、田村家敷地内の井戸から、酒造に好適な中硬水の秩父奥多摩伏流水を得たことから「嘉泉」と酒銘を定める。
- 1903年(明治36年) - 酒税政策や税法の整備に伴い、江戸時代より続いた「店内関係」の役割を終える。
- 1975年(昭和50年) - 15代目・田村半十郎、「まぼろしの酒 嘉泉」を完成した。
- 1983年(昭和58年) - 高橋雅幸入社(後の、初代地元採用の杜氏)。
- 1988年(昭和63年) - 当時、岩手の南部杜氏10名が、11月下旬に蔵に来て酒を作っていた。
- 1992年(平成4年) - 機械化のため棟を一つ造り、連続蒸米機、自動製麹装置などを導入。高橋雅幸「頭(かしら・杜氏を助けるナンバー2)」に任命される。
- 1999年(平成11年) - 高橋雅幸、南部杜氏協会において杜氏資格取得[3][4]。
- 2008年(平成20年) - 16代目・田村半十郎、現当主が襲名した[3]。
- 2016年(平成28年)11月 - JR両国駅舎内の商業施設「-両国-江戸NOREN」に「東京商店」オープン[5]。
施設概要
編集- 敷地面積 - 14,8502(住居部分も含む)
- 延床面積 - 3,3002
- 従業員 - 18名(12名、女性3名、パート・臨時3名)
- 生産量 - 約1,500石(270,000リットル)
- 清酒「嘉泉」 - 25アイテム[3]
- 営業情報
- 定休日 - 日曜日・祝日(冬季を除き月曜日の休業あり)
- 営業時間 - 午前8時-午後5時
- 駐車場 - 有り、大型車両可[1]
- 蔵の見学
- 見学期間 - 12月・1月を除き随時行っている(日・月曜日・祝日、夏季休業、年末年始は見学不可)
- 見学人数 - 見学は10名以上、所要時間1時間
- 予約申込 - 蔵の営業カレンダーにより、1週間前に申込フォームまたは電話にて申し込む[6]
文化財
編集- 登録有形文化財(建造物)
- 登録年月日:2013年(平成25年)12月24日、種別:産業2次/建築物(石垣:その他工作物)、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
- 田村酒造旧水車小屋及び脇蔵
- 年代:昭和前期、木造及び土蔵造平屋建、鉄板葺、建築面積:104m2[10]。
- 田村酒造石垣
- 年代:大正後期建築、石造、総延長145m[11]。
受賞歴
編集全国新酒鑑評会
交通
編集- 鉄道
ギャラリー
編集-
「江戸 NOREN」 の1階(2017年3月3日撮影)
脚注
編集- ^ a b c 田村酒造場 - 歴史
- ^ 『食品工場長』「工場ルポ 田村酒造場 泉湧き出ずる名手の森に新旧が融和する酒の蔵」日本食料新聞社、2003年9月、2016年9月29日閲覧
- ^ a b c 『食品工場長』高橋雅幸著「工場長インタビュー 田村酒造場 高橋雅幸杜氏 初代地元採用杜氏として手づくりを継承しつつ機械化」日本食料新聞社、2003年9月、2016年9月29日閲覧
- ^ 「当時、杜氏は、稲刈りが終わる晩秋に蔵元に来るとゆう、出稼ぎ杜氏集団が従来の酒造りで、岩手の南部杜氏、新潟の越後杜氏、兵庫の丹波杜氏が日本の代表的な杜氏だった。1999年(平成11年)、田村酒造場で始めて地元採用で社員の杜氏が誕生した」
- ^ 朝日新聞「日本酒 飲むなら東京産でしょ」売り込みの動き盛ん、「酒造」-オフィス街のビルで醸造(東京港醸造)、「小売」-都内10ヵ所の酒がずらり、「行政」-「酒どころ多摩」PR、2017年4月14日。
- ^ 田村酒造場 - 蔵案内
- ^ 田村酒造酒造蔵 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 田村酒造前蔵 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 田村酒造雑蔵 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 田村酒造旧水車小屋及び脇蔵 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 田村酒造石垣 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 「平成27酒造年度全国新酒鑑評会 入賞酒目録」酒類総合研究所、平成28年5月18日、2022年4月27日閲覧
- ^ 「平成28酒造年度全国新酒鑑評会 入賞酒目録」酒類総合研究所、平成29年5月18日、2022年4月27日閲覧
関連文献
編集- 『嘉泉(かせん)(デジタル大辞泉プラス)』「東京都 田村酒造場の製造する日本酒」2012年4月