田名部運輸軌道
田名部運輸軌道(たなぶうんゆきどう)は、かつて青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)にあった国鉄大湊線の田名部駅(現在の赤川駅)から田名部町本町までを結んでいた馬車軌道である。鉄道の駅から離れた田名部町の中心部への交通手段であった。国鉄大畑線開業後、廃止となった。
田名部運輸軌道 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:田名部駅前(現在の赤川駅) 終点:田名部柳町 |
駅数 | 3 |
運営 | |
開業 | 1921年12月14日 |
廃止 | 1941年3月18日 |
所有者 | 田名部運輸軌道 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 4.02 km (2.50 mi) |
軌間 | 762 mm (2 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||
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路線データ
編集沿革
編集大湊線が大湊まで延伸することが決まったが、田名部町は駅の設置について、町の中心地の本町に近い場所にする意見と、市街地から離れた場所にするという意見で対立していた。田名部町会議でも何回も討議されていたが、結局当時荒れ地で家一軒ない赤川に決まった[1]。
町の中心からは離れていたので田名部駅まで馬車軌道を敷設することが決まり、田名部駅開業の4か月前の1921年(大正10年)5月19日に田名部町に田名部軌道株式会社(資本金5万円)が設立された[2]。そして同年12月に馬車軌道が開通した。1926年(大正15年)4月には田名部町の丸北下北、丸大河野、夕印田名部の三輸送店を合併し、田名部運輸軌道株式会社と改め資本金を11万6千円とした。
大畑線の開業により影響を受け営業を休止したが補償される[3]ことになり、1941年(昭和16年)3月に廃止となった[4]。
年表
編集輸送・収支実績
編集年度 | 人員(人) | 貨物数量(噸) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | 雑収入(円) | 雑支出(円) | 支払利子(円) |
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1921(大正10)年 | 3,768 | 0 | 750 | 672 | 78 | |||
1922(大正11)年 | 42,000 | 5,400 | 18,616 | 14,874 | 3,742 | |||
1923(大正12)年 | 38,200 | 5,950 | 19,542 | 15,979 | 3,563 | 427、償却金500 | ||
1924(大正13)年 | 36,150 | 7,200 | 20,845 | 17,135 | 3,710 | 399 | ||
1925(大正14)年 | 30,573 | 5,703 | 16,600 | 13,007 | 3,593 | 607 | ||
1926(昭和元)年 | 39,284 | 5,980 | 19,348 | 17,750 | 1,598 | 3,667 | 雑損137、償却金2,414 | |
1927(昭和2)年 | 44,410 | 8,325 | 17,957 | 16,254 | 1,703 | 2,070 | 雑損73、償却金1,683 | |
1928(昭和3)年 | 47,473 | 9,348 | 19,038 | 17,615 | 1,423 | 運送業1,016 | ||
1929(昭和4)年 | 41,680 | 8,202 | 18,888 | 15,559 | 3,329 | 運送業3,772 | 償却金2,000 | 3,406 |
1930(昭和5)年 | 44,167 | 6,211 | 16,040 | 12,215 | 3,825 | 運送、償却、雑損1,842 | 1,728 | |
1931(昭和6)年 | 39,398 | 6,570 | 24,882 | 22,651 | 2,231 | 自動車、家屋2,254 | 雑損1,145 | 2,994 |
1932(昭和7)年 | 35,543 | 7,137 | 26,602 | 18,069 | 8,533 | 借家300 | 自動車、償却金5,680 | 2,596 |
1933(昭和8)年 | 39,841 | 4,780 | 14,053 | 19,914 | ▲ 5,861 | 運送業、土地家屋、自動車9,585 | 雑損、償却金1,438 | 2,286 |
1934(昭和9)年 | 39,952 | 6,288 | 16,694 | 19,543 | ▲ 2,849 | 運送業9,291 | 雑損、償却金3,669 | 2,221 |
1935(昭和10)年 | 41,863 | 7,876 | 17,046 | 18,432 | ▲ 1,386 | 運送、自動車7,943 | 雑損、償却金12,028 | 1,859 |
1936(昭和11)年 | 40,878 | 8,366 | 17,876 | 19,935 | ▲ 2,059 | 運送、自動車8,629 | 雑損160、償却金1,441 | 1,882 |
1937(昭和12)年 | 47,758 | 8,395 | 19,325 | 23,898 | ▲ 4,573 | 運送、自動車12,818 | 雑損317、償却金1,608 | 1,447 |
1939(昭和14)年 | 54,820 | 6,602 | 20,538 | 11,100 | 9,438 | 自動車8,856 | 雑損606、償却金9,685 | 1,331 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計より
脚注および参考文献
編集- ^ 旧斗南藩士で渡米経験のある小池漸は駅を中心地に置くように強く町議会に申し入れていたが受けいられず、開通日に猟銃自殺したという。
- ^ 「株式会社設立」『官報』1921年10月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「田名部運輸軌道株式会社所属鉄道ノ経営廃止ニ対スル補償ノ為公債発行ニ関スル件」『官報』1941年4月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 昭和13年には鉄道開通による廃止を予定していた『東奥年鑑.昭和13年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『銀行会社要録 : 附・役員録. 27版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1921年8月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『ものがたり東北本線史』による。日付は和久田『私鉄史ハンドブック』による(同書正誤表 (PDF) で「廃止官掲」を単に「廃止」に訂正)。
- 『むつ市史』 近代編、むつ市、1986年、827-828,879-882頁。
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、30頁。ISBN 4-88548-065-5。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 2 東北、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790020-3。