産田神社
三重県熊野市有馬町の神社
産田神社(うぶたじんじゃ)は三重県熊野市有馬町の神社である。
産田神社 | |
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所在地 | 三重県熊野市有馬町1814 |
位置 | 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度座標: 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度 |
主祭神 | 伊弉冊尊、軻遇突智尊 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 不詳(崇神天皇代) |
例祭 |
1月10日(大祭) 2月10日(春祭) 11月23日(秋祭) |
由緒と歴史
編集「産田」は産所の意であり、『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれる[1]。また、付近に位置する花窟神社が、亡くなった伊奘冉尊の墓所であるとされる[2]。
創立は、崇神天皇の時代とも伝えられるが、天正年間(1573-1592年)に近隣の安楽寺が兵火にかかった際、延焼により焼失したため不詳である。古くは1132年(長承元年)、崇徳天皇が産田神社へ行幸したことが『熊野年代記』に記される[3]。神社の歴史を示すものとしては、1521年(永正18年霜月14日)の棟札が認められる[3]。
1600年(慶長5年)に豊臣秀頼より二王門が寄進されている。また、1732年(享保17年)には紀州藩より灯籠が寄付され[3]、社殿が修復された[1]。
1871年(明治4年)に郷社とされる。1906年(明治39年)12月25日に神饌幣帛料供進社として指定され、翌1907年(明治40年)12月6日には村内の小社5社を合祀した[1]。
祭神
編集伊弉諾尊、伊弉冉尊、軻遇突智尊、天照皇大神、大山祇命、木華開耶姫命、神武天皇[1]。
1521年(永正18年)の棟札には「奉棟上産土神社二所大明神」とあり[3]、『紀伊続風土記』よると、「二所大明神」は伊弉冉尊と軻遇突智尊の2神を指すことから、当初は伊弉冉尊と軻遇突智尊が祀られ、後に夫神である伊弉諾尊が併祀されるようになったといわれる[1]。
境内
編集例祭
編集- 1月10日(大祭・弓引き神事)
- 2月10日(春祭)
- 11月23日(秋祭)
神徳
編集- 安産・子授け
- 伊弉冉尊は多くの神々の母であることから、古くより安産や子授け、子育てを祈願し、信仰されている。安産祈願の際、目を閉じて拾った石が丸いと女子、細長いと男子が産まれるといわれる[5]。
文化財
編集交通
編集脚注
編集- ^ a b c d e f “神社の紹介 - 産田神社”. 三重県の神社. 三重県神社庁 教化委員会 (2012年7月). 2015年8月17日閲覧。
- ^ “由緒書”. 花窟神社. 2015年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 谷川健一編 編『日本の神々 - 神社と聖地 6 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』白水社、2000年、470-471頁。ISBN 4-560-02506-1。
- ^ a b 岡田謙二『日本のパワースポット案内 巨石巡礼50』秀和システム、2011年、167-170頁。ISBN 978-4-7980-3120-0 。
- ^ a b “熊野「ご利益」七めぐり” (PDF). くまっぷ. 熊野市観光スポーツ交流課. 2015年8月25日閲覧。
- ^ “文化財”. 熊野市. 2015年8月17日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 岡田謙二. “産田神社”. 巨石巡礼. OKADA AD Office. 2015年8月25日閲覧。
- “熊野市百科大事典: 名所・観光地『産田神社』”. くまどこ. 東紀州ITコミュニティ. 2015年8月25日閲覧。
- “産田神社例大祭”. くまどこ. 東紀州ITコミュニティ. 2015年8月25日閲覧。