生駒正親
日本の江戸時代前期~中期の武士。江戸幕府旗本生駒親興長男で、交代寄合(表向御礼衆)旗本生駒氏4代当主
生駒 正親(いこま まさちか、延宝6年12月20日(1679年2月1日)[1] - 宝永3年1月27日(1706年3月11日))は、江戸時代前期の旗本。幼名は長松、通称は小次郎、玄蕃。
生涯
編集交代寄合生駒親興の長男として誕生した。元禄10年(1697年)10月28日、将軍徳川綱吉に御目見する。元禄15年(1702年)6月23日、親興の死去により家督を相続する。宝永3年(1706年)1月27日、死去。29歳。正室は保田宗郷の娘。子女はいない。末弟の親猶が養子として家督を相続した。
脚注
編集- ^ 『秋田県史 [通史編] 第7巻 (年表索引編)』(秋田県、1966年)附録 各藩歴代藩主系譜 p.7
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」