- 静岡県千頭(現在の川根本町)の出身。
- 山に強かったことから、1907年(明治40年)に行われた剱岳での測量(団長:柴崎芳太郎)に測夫として参加。観測結果の記録などを担当した。7月13日、剱岳への登頂を果たした[1]。
- 剱岳への登頂後、帰郷して結婚。行商を経て1928年(昭和3年)に家庭用品販売店を創業。1950年に亡くなるまで従事した。
- 新田次郎の小説『劒岳 点の記』では、若気の至りで無茶をし、柴崎や宇治長次郎らをハラハラさせるも、苦難に直面することで最後は謙虚さの必要性に気づき、仲間を認め合う男として描かれている。