大江保資
(甘南備保資から転送)
経歴
編集検非違使衛門少尉を務める一方で藤原道長の家司を務め、長和4年(1015年)春宮・敦成親王(のち後一条天皇)が上東門院から枇杷第に還御した際に従五位上、寛仁2年(1018年)後一条天皇が上東門院に行幸した際に正五位下と、他の家司とともに昇叙を受けている。
寛仁3年(1019年)甘南備氏から大江氏に改姓し、寛仁4年(1020年)左衛門権佐に任ぜられる。治安3年(1023年)従四位下に叙せられ、翌治安4年(1024年)信濃守に遷った。
官歴
編集- 寛弘5年(1008年) 12月23日:見検非違使右衛門少尉[1]
- 寛弘8年(1011年) 9月29日:見検非違使左衛門少尉[2]
- 長和4年(1015年) 9月20日:従五位上(枇杷第還御日賞)、見左大臣藤原道長家司[3]
- 寛仁元年(1017年) 9月22日:見施薬院使[3]
- 寛仁2年(1018年) 10月22日:正五位下、見前摂政太政大臣藤原道長家司[3]
- 寛仁3年(1019年) 12月17日:甘南備氏から大江氏に改姓[3]
- 寛仁4年(1020年) 正月30日:左衛門権佐か。2月1日:左衛門権佐慶賀[4]。2月5日:検非違使宣旨[4]
- 治安3年(1023年) 正月7日:従四位下[5]。11月25日:見左衛門権佐[3]
- 治安4年(1024年) 正月26日:信濃守[5]
- 万寿4年(1027年) 5月24日:見信濃守[3]
脚注
編集参考文献
編集- 宮崎康充編『検非違使補任 別巻』続群書類従完成会、2006年