瓜生 忠夫(うりゅう ただお[1]1915年大正4年)5月6日 - 1983年昭和58年)2月26日[2])は日本の映画評論家とマスコミの研究者。東京帝国大学ドイツ文学科を卒業した後、日本映画社に入社。在学中は帝国大学新聞編集長を務めた。戦後は、映画評論やマスコミ研究に専念しながら、法政大学明治大学中央大学専修大学の講師を務めた[2]共産党員であったため1950年にレッドパージを受ける[3]駅弁の研究者としても知られていた[2]

うりゅう ただお

瓜生 忠夫
生誕 (1915-05-06) 1915年5月6日
台湾嘉義
死没 (1983-02-26) 1983年2月26日(67歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 映画評論家、マスコミ研究者
テンプレートを表示

著書

編集
  • 『映画的精神の系譜』月曜書房、1947年
  • 『リアリズム映画論』銀杏書房、1949年
  • 『映画』三省堂出版、1949年
  • 『ソヴィエト映畫』月曜書房、1951年
  • 『映畫のみかた』岩波書店、1951年
  • 『映画とシナリオ』福村書店、1952年
  • 『映画入門』中教出版、1952年
  • 『映画えんま帖』法政大学出版局、1955年
  • 『日本の映画』岩波書店、1956年
  • 『マス・コミ産業 : その日本における発展の特異性』法政大学出版局、1962年
  • 『放送産業 : その日本における発展の特異性』法政大学出版局、1965年
  • 『駅弁マニア』報知新聞社、1969年
  • 『モンタージュ考 : 映画的認識の系譜』時事通信社、1973年
  • 『民族よ死に急ぐなかれ』ダイヤモンド社、1977年
  • 『駅弁物語』家の光協会、1979年
  • 『戦後日本映画小史』法政大学出版局、1981年
  1. ^ 「瓜生 忠夫 ウリュウ タダオ」、20世紀日本人名事典
  2. ^ a b c 瓜生忠夫、デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ 『70年代にのぞむ左翼団体』極東事情研究会、極東出版社、1970、p694

関連項目

編集

外部リンク

編集