瑞光院前町
京都市上京区の地名
瑞光院前町(ずいこういんまえちょう)は、京都市上京区の町名。
瑞光院前町 | |
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北緯35度02分16.6秒 東経135度45分03.7秒 / 北緯35.037944度 東経135.751028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 京都市 |
区 | 上京区 |
元学区 | 成逸学区 |
人口 | |
• 合計 | 69人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
602-0081[2] |
市外局番 | 075[3] |
ナンバープレート | 京都 |
町名
編集人口と世帯数
編集令和2年国勢調査による2020年10月1日の人口と世帯数は以下のとおり[1]。
町名 | 人口 | 世帯数 |
---|---|---|
瑞光院前町 | 69人 | 24世帯 |
地理
編集上京区の元学区、成逸学区の最北部に位置する。南は扇町、東は下清蔵口町、西は天神北町・東若宮町、北は紫野宮西町に接する。
通り名表記
編集『京都市町通り名一覧表』 (1998)[4]には、以下が挙げられている。表記の意味については「京都市内の通り#住所」を参照。
また、『京都市の地名』[5]、『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻[6]では「堀川頭今宮御旅所下ル」が瑞光院前町の通り名表記として掲げられている[8]。
小・中学校の通学区域
編集市立小・中学校に通う場合の通学区域[9]は以下のとおり[10]。
町名 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
瑞光院前町 | 全域 | 京都市立西陣中央小学校 | 京都市立烏丸中学校 |
歴史
編集通称「堀川頭」(堀川通の北端)であった。明治維新前は西陣離町に属した[11]。瑞光院前町と天神北町に至る場所は、かつて洛中への北の入り口の一つ「能成寺口」と呼ばれた[11]。能成寺は応仁の乱で廃絶したとされる。
町名の由来
編集交通
編集道路
編集東西の通り
編集南北の通り
編集- 堀川通(京都府道38号京都広河原美山線・鞍馬街道)
- 天神の辻子
- 猪熊通
施設
編集- 瑞光院 赤穂義士遺髪塔跡碑[13]
- SCREENホールディングス本社(本社所在地は天神北町に置かれる。)
脚注
編集- ^ a b “京都市統計ポータル/令和2(2020)年国勢調査”. 京都市総合企画局情報化推進室統計解析担当 (2020年10月1日). 2023年9月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2020年10月24日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2020年10月24日閲覧。
- ^ 京都市文化市民局『京都市町通り名一覧表』京都市、1998年。京都市情報公開コーナー( https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000084635.html )で閲覧可能
- ^ 『京都市の地名』 (1979), p. 604, 「瑞光院前町」.
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 811, 「瑞光院前町」.
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』下巻 (1982), p. 181, 「瑞光寺前町」.
- ^ 当時の現行町名を示す『角川日本地名大辞典 26 京都府』下巻[7]では、「鞍馬口通堀川西入東入」が掲げられる。
- ^ 京都市では単に「学区」といった場合、単に通学区域を意味せず、地域自治の単位である「元学区」のことを意味する。
- ^ “京都市通学区町名一覧”. 上京区 (2020年10月1日). 2020年10月24日閲覧。
- ^ a b 碓井小三郎『京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之首-五』 (1915)
- ^ “辻子 -天神辻子とその周辺-” (2011年12月10日). 2020年10月24日閲覧。
- ^ “KA128 赤穂義士四十六士遺髪塔跡”. 2023年10月27日閲覧。
参考文献
編集- 碓井小三郎「瑞光院前町」『京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之首-五』1915年、1頁。doi:10.11501/1210435 。
- 林屋辰三郎、村井康彦、森谷尅久 編『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年。ISBN 4-040-01261-5。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 下巻、角川書店、1982年。ISBN 4-040-01262-3。