王禑(ワン ウ、おう ぐ、朝鮮語왕 우1365年7月25日 - 1389年12月31日)は、第32代高麗王(在位:1374年 - 1388年)。姓は王、名は禑。禑王、驪興王。初名は牟尼奴[1]恭愍王と侍婢・般若の子。恭愍王の後を継いで王位に就いたが、李成桂威化島回軍により廃位、殺害された。

王禑
高麗
第32代国王
王朝 高麗
在位期間 1374年10月30日 - 1388年7月12日
生年 至正25年7月7日
1365年7月25日
没年 洪武22年12月14日
1389年12月31日
恭愍王
般若
王后・王配 謹妃李氏
妃嬪 下記参照
子女 下記参照
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家族

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  • 父:恭愍王
  • 生母:般若(後に処刑)
  • 養母:定妃安氏
  • 養母:順静王后 韓氏(名目上の母)
  • 妃:謹妃 李氏(慶尚南道 固城 鉄城府院君 李琳の娘。本貫は固城李氏):高麗史には記述なし
  • 妃:寧妃 崔氏(李成桂のライバルである崔瑩の娘。本貫は東州崔氏
  • 妃:毅妃 盧氏(本名は釋婢。本貫は長淵盧氏。朝鮮王朝第3代国王太宗の側室・昭嬪盧氏は姪)
  • 妃:淑妃 崔氏(本名は龍徳)
  • 妃:安妃 姜氏
  • 妃:正妃 申氏(本貫は平山申氏)
  • 妃:德妃 趙氏(本名は鳳加伊)
  • 妃:善妃 王氏
  • 妃:賢妃 安氏(本貫は竹山安氏。恭愍王の妃・定妃安氏の姪。伯母の尽力により、廃位を免れた)
  • 後宮:和順翁主(妓生出身で、本名は小梅香)
  • 後宮:明順翁主(妓生出身で、本名は燕双飛)
  • 後宮:寧善翁主(?-1420。本貫は南平で姓は不詳。妓生出身で、本名は七點仙。密直南秩という人物の妾であった)

脚注

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  1. ^ 高麗史卷44 世家44 恭愍王「乙巳賜牟尼奴名禑、封爲江寧府院大君。百官賀、命政堂文學白文寶・田祿生・大司成鄭樞等傅之。」(乙巳、牟尼奴に禑と名のるを賜ひ、封じて江寧府院大君と爲す。百官賀す、政堂文學白文寶・田祿生・大司成鄭樞等に命じてこれに傅たらしむ。)

参考文献

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  • 高麗史卷135 列傳48 辛禑