王毛仲
王 毛仲(おう もうちゅう、朝鮮語: 왕모중례、? - 731年)は、唐の第六代皇帝・玄宗の下人[1]。高句麗人[1]。中国漢王朝の武帝が紀元前108年に朝鮮半島に設置した楽浪郡で勢力を張った中国系豪族・楽浪王氏の遺民とみられる[2]。
王 毛仲 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 왕모중 |
漢字: | 王 毛仲 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | おう もうちゅう |
概要
編集中国には古来、イヌの飼育に携わる官吏がいた。唐代でも東宮にラクダ、ウマ、タカ、イヌの飼育場があり、王毛仲はその飼育に従事していた。
王毛仲,本高麗人也。…因隸於玄宗。…毛仲專知東宮駝馬鷹狗等坊,未逾年,已至大將軍,階三品矣。
王毛仲は、本来高麗の人である。…玄宗皇帝のしもべとなった。…毛仲は東宮のラクダ・ウマ・タカ・イヌ等の飼育場に通じ、幾年も経たないうちに、大将軍になり、位階が三品ともなった[1]。 — 旧唐書、一百〇六
南北朝時代から隋唐時代の楽浪王氏出身者に、王波、王班、王定国、王唐成、王光祖、王禎、王基、明徳皇后、王盟などがいるが、これらの人物は楽浪郡出身ではなく、中国出身であり、楽浪王氏は、朝鮮から中国に移住した者が相当程度達している[2]。唐代の王毛仲は、『旧唐書』巻百六・王毛仲伝に本高麗人也とし、楽浪郡代から相当経過しているため、高句麗に著しく同化していることが窺える[2]。