玉井祐吉
玉井 祐吉(たまい ゆうきち、1915年(大正4年)1月11日[1] - 2002年(平成14年)2月24日[2])は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集新潟県[2][3]出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した[2][3]。
日本曹達社員、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)社員を経て東山炭礦所長に就任[2][3]。その後、農民運動、労働運動に加わり日本農民組合青年部、同新潟県連執行委員長、日本社会党新潟支部青年部長を務めた[2][3]。
1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で新潟県第2区に日本社会党公認で出馬して初当選[3][4]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で労働者農民党公認で出馬して再選されたが[5]、選挙区内の中蒲原郡七谷村での選挙が無効となり、1950年(昭和25年)10月に再選挙が行われ改めて当選が確定し[5]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。
その後、印刷業、農場の経営を行った[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 2000-2002』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。