猿島 (敷設艇)
猿島(さるしま)は、日本海軍の敷設艇[4]。夏島型敷設艇の1隻。猿島は横須賀港第5区、記念艦「三笠」の沖に浮かぶ島の名前[26]。
猿島 | |
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館山湾に停泊する「猿島」(1942年夏)[1] | |
基本情報 | |
建造所 | 横浜船渠[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | (二等敷設艇[3] →) 敷設艇[4] |
級名 | (夏島型) |
建造費 | 当初予算 1,235,000円[5] |
母港 | 横須賀[6][7][8] |
艦歴 | |
計画 | 昭和6年度(1931年)[9]、①計画[10] |
起工 | 1933年3月28日[11][12] |
進水 | 1933年12月16日[11][12] |
竣工 | 1934年7月20日[11] |
最期 | 1944年7月4日沈没[6] |
除籍 | 1944年9月10日[8] |
要目 | |
基準排水量 | 新造時:565.6英トン[13] |
公試排水量 |
新造時:582.72トン[13] 性能改善工事後:647.1トン(機雷を搭載しない場合)[14] |
満載排水量 | 性能改善工事後:750.8トン(機雷搭載時)[15] |
全長 | 73.00m[16] |
水線長 | 70.00m[16] |
垂線間長 | 67.00m[16] |
最大幅 | 8.00m[16][注釈 1] |
深さ |
計画 4.30m[16] 実際 4.90m(バラストキールを含む)[16] |
吃水 |
計画:公試平均 1.85m[16] 新造時:公試平均 2.023m[13] 性能改善工事後(バラストキールを含む) 公試 2.790m[14] 満載平均 3.039m[15] |
主機 | マン式二号9型(単動4サイクル9筒)ディーゼル機関 2基[17][18] |
推進 |
2軸 x 350rpm[17] 直径1.800m、ピッチ2.010m[18] |
出力 |
計画 2,100馬力[16][13] 公試結果 2,731馬力[19] |
速力 |
計画 18.0ノット[16] 公試結果 18.706ノット[19] |
燃料 |
計画 重油20トン(機雷搭載の場合) または 重油58トン(防潜網搭載の場合[20])[16] 新造時 重油46.20トン[13] |
航続距離 |
計画 2,800カイリ / 12ノット[16](機雷搭載の場合) 計画 5,800カイリ / 12ノット[16](防潜網搭載の場合) 実際 4,639カイリ / 14.4ノット[13] |
乗員 |
竣工時定員 64名[21][9] 1938年 94名[22] |
兵装 |
竣工時 8cm単装高角砲2門[23] 13mm単装機銃1挺[23] 八一式投射機2基、爆雷装填台2台[24] 八九式機雷120個[24][注釈 2] または爆雷18個、一四式防戦網1組、四号大掃海具1組(機雷を搭載しない場合)[24] 最終時(機雷、掃海兵装を除く)[9] 8cm単装高角砲2門 25mm機銃 連装1基、同単装4挺 九四式投射機1基(推定)、八一式投射機2基、爆雷装填台3台 爆雷投下台6基 爆雷36個 |
搭載艇 | 6m内火艇1隻、6mカッター2隻、6m通船1隻[25] |
ソナー |
最終時(推定)[9] 九三式水中聴音機1基 九三式または三式探信儀1基 |
艦型
編集計画番号H5b[16]。 船体、兵装は「夏島」(計画番号H5[16])と同一であるが試験的にマン式ディーゼルを主機とした[27]。このため速力は幾分落ちたが航続距離は2倍近くに伸びている[27]。この主機の性能は満足のいくものでその後の測天型、平島型敷設艇の他、駆潜艇、海防艦などの小艦艇の主機に積極的に採用された[28]。
建造中に起きた友鶴事件により復元性能改善工事を実施、固定バラスト80トンを搭載するなどし、1939年(昭和14年)には船体補強工事を行い公試排水量は647.1トンに増加した[14]。
大戦中に機銃増備を実施したと思われるが、詳細は判っていない[27]。
艦歴
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1932年(昭和7年)12月10日「猿島」と命名[2]、同日附で二等敷設艇の欄に記載される[3]。 1933年(昭和8年)3月28日三菱横浜船渠にて起工[11]、 5月23日に敷設艇の等級が廃止され、(等級無しの)敷設艇となる[4]。 同年12月16日進水[11]。 建造中に友鶴事件が起きる。 当初の竣工予定は1934年(昭和9年)5月31日だったが50日遅れ[29]、7月20日に竣工した[11]。 横須賀鎮守府籍[6]、横須賀防備隊所属(1936年時)[7]。
1938年(昭和13年)7月1日、支那方面艦隊の指揮下に入り[30]九江攻略作戦などに参加する。
太平洋戦争開戦時は横須賀防備隊に所属し[31]東京湾口付近の対潜哨戒や機雷敷設、近海の護衛、物資輸送などに従事する[32]。
1942年(昭和17年)後半以降は八丈島間など、日本近海の船団護衛にも参加[32]。
1944年(昭和19年)2月1日に類別等級が(特務艇の)敷設艇から(艦艇の)敷設艇に移り[33]、改めて横須賀鎮守府籍となる[34]。同年5月17日館山湾発、サイパンまでの船団護衛を行う[32]。その帰路の7月4日父島にて敵機の攻撃を受け、弟島西方に待避する[32]。回避運動を実施したが機械室に被爆、火災を起こし弟島北鼻西方800mで沈没した[32]。9月10日除籍[8]。
艇長
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- 艤装員長
- 高島鉄郎 大尉:1934年2月20日[35] -
同型艦
編集参考文献
編集- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 『日本海軍護衛艦艇史』 世界の艦船 1996年2月号増刊 第507集(増刊第45集)、海人社、1996年2月。ISBN 4-905551-55-2。
- 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4。
- 「敷設艇艦 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『公文備考 昭和9年 F 艦船 巻1/第534号 9.3.12 敷設艇猿島工事概括表変更認許の件』。Ref.C05023515800。
- 『公文備考 昭和9年 F 艦船 巻1/第1364号 9.6.8 敷設艇猿島工事概括表変更認許の件』。Ref.C05023515900。
- 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年2月(1)』。Ref.C12070194400。
- 『昭和19年8月~9月 秘海軍公報/8月(4)』。Ref.C12070496700。
- 『昭和15年6月25日現在 10版 内令提要追録第7号原稿 /巻1 追録/第6類 機密保護』。Ref.C13071989600。(艦船要目公表範囲)
- 『昭和16年12月31日現在 10版 内令提要追録第10号原稿巻2,3/巻3 追録/第13類 艦船(1)』。Ref.C13072003500。
脚注
編集注釈
編集- ^ #海軍造船技術概要(1987)p.654では最大幅7.49mとしている。
- ^ #軍艦基本計画資料Sheet17には機雷126個の数値もある。
出典
編集- ^ #写真日本の軍艦第14巻p.89
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.380、昭和7年12月10日(達175)『艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇二隻ニ左ノ通命名ス
驅逐艦
浦賀船渠株式會社ニ於テ建造
初霜 株式會社川崎造船所ニ於テ建造有明 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造夕暮 潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦 水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造友鶴 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造初雁 掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇 三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇 敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造猿島 株式會社播磨造船所ニ於テ建造那沙美 』 - ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.109、昭和7年12月10日(内令413)
- ^ a b c #海軍制度沿革8(1971)p.109、昭和8年5月23日(内令190)
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.407
- ^ a b c 伊達久「『敷設艇・電纜敷設艇』行動年表」#写真日本の軍艦第14巻pp.105-106
- ^ a b #S11.12.1内令提要原稿/艦船画像14、特務艇本籍及所属
- ^ a b c #S19.8-9秘海軍公報/9月(2)画像23-24、昭和19年9月10日附内令第1060号『横須賀鎮守府在籍 敷設艇 猿島 佐世保鎮守府在籍 敷設艇 測天 右帝國敷設艇籍ヨリ除カル』(妙録)
- ^ a b c d #日本海軍護衛艦艇史(1996)p.86
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.411
- ^ a b c d e f #S15-6-25艦船要目公表範囲画像12
- ^ a b #S9公文備考F艦船1/9.3.12猿島工事概括表画像4、敷設艇猿島工事予定概括変更、昭和9年2月22日
- ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)p.654
- ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)p.655
- ^ a b #海軍造船技術概要(1987)p.656
- ^ a b c d e f g h i j k l m n #一般計画要領書(敷設艇)p.2
- ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.20
- ^ a b #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1716
- ^ a b #軍艦基本計画資料Sheet17
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.36の註として「2) 括弧内ハ防潜網搭載セル場合ノモノヲ示ス」とある。
- ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.884-885、昭和9年2月10日(内令55)「敷設艇猿島乗員標準」。士官1人、特務士官2人、下士官21人、兵40人。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.5
- ^ a b c #一般計画要領書(敷設艇)p.8
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.26
- ^ #銘銘伝2014p.534
- ^ a b c 解説・東清二、作図・石橋孝夫「図で見る『敷設艇、電纜敷設艇、敷設特務艇』変遷史」夏島型#写真日本の軍艦第14巻pp.92-93
- ^ 梅野和夫「"猿島"が装備したディーゼル機関」#写真日本の軍艦第14巻pp.88-89
- ^ #S9公文備考F艦船1/9.6.8猿島工事概括表画像1-2、官房教機密第1364号の2
- ^ #写真日本の軍艦第14巻pp.80-81下写真の解説
- ^ #S16.12.31内令提要原稿巻2,3/艦船(1)画像22、特務艇の本籍及所属
- ^ a b c d e 伊達久「『敷設艇・電纜敷設艇』行動年表」#写真日本の軍艦第14巻pp.105-106
- ^ #自S19.1至S19.7内令/昭和19年2月(1)画像1『内令第二百七十一號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年二月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 驅潜艇ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 敷設艇 | | |燕、鴎、夏島、猿島、那沙美| | 敷設艇 | |測天型 | 測天、白神、巨済、成生、石埼、鷹島、済州、荒井埼、由利島、怒和島、前島 |』
- ^ #自S19.1至S19.7内令/昭和19年2月(1)画像35-38、昭和19年2月1日内令第280号
- ^ 『官報』第2141号、昭和9年2月22日。