「蝦夷」の版間の差分
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「えみし」は朝廷側からの他称であり、蝦夷側の民族集団としての自覚の有無に触れた史料はない。蝦夷に統一[[アイデンティティー]]は無かったと解するか、日本との交渉の中で民族意識が形成されたであろうと想定するかは、研究者の間で意見が分かれている。しかし、既に文字文化を持っていたイギリスの[[ケルト人]]と異なり、文字文化を持たない民族集団が統一した[[アイデンティティー]]を有することは困難であるため([[北米]][[先住民族]]や[[高砂族]])、時代とともに遺恨も薄まり日本人に混血化していった事実が、近年のDNA解析からも判明している。
蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『[[日本書紀]]』神武東征記中に詠まれている来目歌の一つに'''愛濔詩'''として登場する。
:'' '''えみし'''を ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず''
:''(訳:''えみし''を、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった)''
しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「'''えみし'''」が後の「'''蝦夷'''」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。
''「昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。'''東は毛人を征すること、五十五国。'''西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」''
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