ドロテア・ア・ダンマーク (1546-1617)
ドロテア・ア・ダンマーク(Dorothea af Danmark, 1546年6月29日 - 1617年1月6日)は、リューネブルク侯ヴィルヘルムの妃。デンマーク・ノルウェー王クリスチャン3世と王妃でザクセン=ラウエンブルク公マグヌス1世の娘ドロテアの娘。
ドロテア・ア・ダンマーク Dorothea af Danmark | |
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出生 |
1546年6月29日 デンマーク、コリング |
死去 |
1617年1月6日(70歳没) 神聖ローマ帝国 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、ウィンゼン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、ツェレ、聖マリア教会 |
配偶者 | リューネブルク侯ヴィルヘルム |
子女 | 一覧参照 |
父親 | デンマーク・ノルウェー王クリスチャン3世 |
母親 | ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク |
生涯
編集1546年、コリングで生まれた。1561年10月12日にヴィルヘルムと結婚、15人の子を儲けたが、ヴィルヘルムが精神錯乱を引き起こし、ドロテアはヴィルヘルムと別居した。1592年にヴィルヘルムが亡くなり、後を継いだ長男のエルンスト2世の摂政を務めた。1617年、ウィンゼン(現在のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ゼーゲベルク郡の都市)で亡くなった。
子女
編集- ゾフィー(1563年 - 1621年) - 1578年、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯及びブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯ゲオルク・フリードリヒと結婚
- エルンスト2世(1564年 - 1611年) - リューネブルク侯
- エリーザベト(1565年 - 1621年) - ホーエンローエ=ランゲンブルク伯フリードリヒと結婚
- クリスティアン(1566年 - 1633年) - ミンデン司教、リューネブルク侯
- アウグスト1世(1568年 - 1636年) - ラッツェブルク司教、リューネブルク侯
- ドロテア(1570年 - 1649年) - プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト宮中伯カール1世と結婚
- クララ(1571年 - 1658年) - シュヴァルツブルク=ブランケンブルク伯ヴィルヘルムと結婚
- アンネ・ウルスラ(1572年 - 1601年)
- マルガレーテ(1573年 - 1643年) - 1599年、ザクセン=コーブルク公ヨハン・カジミールと結婚
- フリードリヒ4世(1574年 - 1648年) - ブレーメン主席司祭、リューネブルク侯
- マリー(1575年 - 1610年)
- マグヌス(1577年 - 1632年)
- ゲオルク(1582年 - 1641年) - カレンベルク侯
- ヨハン(1583年 - 1628年)
- ジビッレ(1584年 - 1652年) - 1616年、従兄のブラウンシュヴァイク=ダンネンベルク公ユリウス・エルンストと結婚