牧野虎次
日本の牧師、社会事業家 (1871-1964)
牧野 虎次(まきの とらじ、明治4年7月3日(1871年8月18日) - 昭和39年(1964年)2月1日)は、日本の牧師、社会事業家。新島襄の直弟子で同志社総長となった最後の人物である[1]。
略年譜
編集- 1871年7月3日 - 近江国蒲生郡西大路村(出生11日後の廃藩置県実施により現滋賀県日野町)に牧野安良の二男として生まれた。
- 1885年 - 同志社英学校に入学。
- 1887年 - 金森通倫から受洗。
- 1890年 - 新島襄の葬儀で受付係を務める。
- 1895年 - 教誨師となる。
- 1902年5月 - エール大学神学科卒業、翌年日本組合基督教会京都教会牧師となる。
- 1909年5月 - 数回に亘り欧米各国の宗教界及び社会事業を視察。
- 1916年 - 日本組合基督教会本部総幹事となる。
- 1922年 - 満鉄社会課長となる。
- 1925年 - 大阪府社会課嘱託。
- 1933年5月 - 東京家庭学校校長。
- 1938年9月 - 同志社大学長。
- 1941年7月 - 同志社総長。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年
- 同志社山脈編集委員会 『同志社山脈』 晃洋書房、2002年 ISBN 4771014086
外部リンク
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その他の役職 | ||
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先代 若松兎三郎 |
同志社交友会会長 1947年 - 1951年 |
次代 村田竹治郎 |