牟田亀太郎
明治・大正期の軍人
牟田 亀太郎(むた かめたろう、1875年(明治8年)2月15日 - 1955年(昭和30年)8月9日)は、明治・大正期の軍人。佐賀郡大堂村(現・佐賀市諸富町)出身。最終階級は海軍少将。栄典は従四位勲三等功五級。
経歴
編集1875年、佐賀郡大堂村(現諸富町加与丁)において、父守常、母夕子の長男に生まれる。海軍兵学校を席次4位で卒業(海兵25期)。装甲艦金剛、戦艦富士などへの配属を経て防護巡洋艦橋立の水雷長として日本海海戦にも参加した。その後海軍大学校に進み(海大甲種5期)、防護巡洋艦筑摩艦長、旅順要港部参謀長、戦艦金剛艦長、佐世保海兵団々長を経て1921年(大正10年)海軍少将に昇進。佐世保鎮守府参謀長に就任する。1924年(大正13年)予備役、1933年(昭和8年)後備役、1938年(昭和13年)退役。
栄典
編集- 位階
- 1899年(明治32年)3月10日 - 正八位[1]
- 1900年(明治33年)12月8日 - 従七位[2]
- 1907年(明治40年)11月30日 - 従六位[3]
- 1913年(大正2年)2月10日 - 正六位[4]
- 1916年(大正5年)12月28日 - 従五位[5]
- 1922年(大正11年)1月20日 - 正五位[6]
- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 諸富町史編纂委員会 編『諸富町史』諸富町、1984年3月30日。