牛島敬次郎
大日本帝国陸軍軍人
牛島 敬次郎(うしじま けいじろう、1889年(明治22年)1月25日[1] - 1941年(昭和16年)5月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
牛島 敬次郎 | |
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生誕 |
1889年1月25日 日本 福岡県 |
死没 | 1941年5月22日(52歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1941年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[3]。1937年(昭和12年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1938年(昭和13年)3月に近衛歩兵第1連隊長に就任した[2]。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍少将進級と同時に東京陸軍幼年学校長に着任したが[1][2]、在任中の1941年(昭和16年)5月22日に死去[1][2][3]。同日任陸軍中将[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。