片山 博通(かたやま ひろみち、1907年12月22日 - 1963年3月10日)は、観世流シテ方の能楽師。
京都生まれ。観世元義(片山九郎三郎)の次男。兄は24代宗家観世左近。1928年、雑誌『観世』の創刊に関わる。1944年、家名の8代目片山九郎右衛門を襲名するが、1958年、博通に戻る。1963年3月10日神戸市の湊川神社で「求塚」を演能中に急性くも膜下出血で急逝。妻は4代井上八千代(片山愛子)、子が9代片山九郎右衛門。
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