熊谷元実
熊谷 元実(くまがい もとざね)は、江戸時代初期の武士。毛利家家臣で長州藩士。安芸熊谷氏の末裔。
時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 慶長18年(1613年) |
死没 | 貞享2年4月20日(1685年5月22日) |
別名 | 通称:忠三郎 |
官位 | 主計 |
主君 | 毛利秀就→綱広→吉就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤姓宇都宮流宍戸氏→桓武平氏国香流熊谷氏 |
父母 | 父:宍戸広匡、母:穂井田元清の娘 |
兄弟 | 宍戸就尚、元実 |
妻 | 正室:杉重政の娘 |
子 | 宍戸就附、就実、宍戸就延、隆将、娘(草苅就氏室) |
生涯
編集寛永3年(1626年)、長州藩主・毛利秀就の命で、杉重政の娘(熊谷元貞の従姉妹)を妻に迎え、熊谷主膳正の死後に空席となっていた熊谷氏の 家督を相続した。
実家の宍戸氏に後継者がなかったため、長男の就附に宍戸氏の家督を継がせたが、延宝4年(1676年)に就附が早世したため、その弟である就延に宍戸氏の家督を継がせた。末子の隆将は熊谷氏の故地である安芸国三入庄に戻り、帰農した。