煕子女王

日本の平安時代の皇族、保明親王の第一王女、朱雀天皇の女御

煕子女王(きし(ひろこ)じょおう、生年不詳 - 天暦4年5月5日950年5月24日))は、保明親王醍醐天皇皇太子)第一王女。母は藤原時平の娘・仁善子朱雀天皇女御。別名王女御。同母兄に皇太孫慶頼王

延長元年(923年)、父・保明親王が皇太子のまま21歳で薨御し、その後を追うように同3年(925年)、兄慶頼王も幼くして死没した。相次ぐ後継者の死に、祖父醍醐天皇や周囲は菅原道真の祟りと恐れたという。

承平7年(937年)2月、叔父朱雀天皇に入内し女御宣下。天慶元年(938年)12月、従四位下に叙される。天慶8年(945年)、母・藤原仁善子が逝去。同9年(946年)4月20日、夫朱雀天皇が譲位。天暦4年(950年)5月5日、一人娘の昌子内親王を出産、従三位に進むが同日薨去。尚、薨去の日付については3月15日とする説がある。

煕子女王に先立たれた朱雀天皇が詠んだ和歌一首が『玉葉集』にある。