烏達鞮侯単于(うたつていこうぜんう)は、匈奴単于。姓は攣鞮氏、名は烏達鞮侯呼都而尸道皋若鞮単于の子。

46年に匈奴の単于として即位するが、同年に死去した[1]

脚注

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  1. ^ 『後漢書』巻八十九「二十二年,単于輿死,子左賢王烏達鞮侯立為単于。復死,弟左賢王蒲奴立為単于。 」

参考文献

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  • 後漢書』巻八十九・南匈奴列伝第七十九