瀬谷 勇次郎(せや ゆうじろう、1870年3月[1][2] - 1938年2月26日[2])は、明治から昭和時代戦前の政治家実業家貴族院多額納税者議員

瀬谷勇次郎
せや ゆうじろう
生年月日 1870年
出生地 日本の旗 日本 茨城県東茨城郡
(現・東茨城郡城里町
没年月日 1938年2月26日
前職 農業

在任期間 1926年7月19日 - 1932年9月28日

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経歴

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茨城県東茨城郡、のちの石塚町常北町を経て現城里町)出身[1]。瀬谷弥八郎の長男として生まれ、1904年(明治37年)家督を相続する[1]。農業を営む[1]

1894年(明治27年)以降、茨城県茶業組合連合会議員、同県煙草耕作連合会副会長、同県山林会評議員、茨城県会議員、参事会員のほか、石塚米穀市場、常盤砂利、石塚繭糸市場各社長、常陸銀行[注 1]、千代田肥料、茨城鉄道などの取締役を歴任した[2]

1926年(大正15年)7月には茨城県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年7月19日に就任し[3]1932年(昭和7年)9月28日まで務めた[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 常陽銀行の前身行のひとつ。

出典

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1928, セ6頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 1960, 198頁.
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。

参考文献

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