瀬戸崎村

日本の愛媛県越智郡にあった村

瀬戸崎村(せとざきむら)は愛媛県越智郡にあったである。1955年(昭和30年)に盛口村との2村の合併により上浦村となり、自治体としては消滅した。上浦村は1964年(昭和39年)に町制施行し上浦町となり、さらに平成の市町村合併で今治市と越智郡11か町村の合併[注釈 1]により今治市となり、現在に至っている。

せとざきむら
瀬戸崎村
廃止日 1955年3月30日
廃止理由 合併
瀬戸崎村盛口村上浦村
現在の自治体 今治市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
越智郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 盛口村宮浦村岡山村
瀬戸崎村役場
所在地 愛媛県越智郡瀬戸崎村大字甘崎
座標 北緯34度14分07秒 東経133度03分09秒 / 北緯34.23519度 東経133.05261度 / 34.23519; 133.05261座標: 北緯34度14分07秒 東経133度03分09秒 / 北緯34.23519度 東経133.05261度 / 34.23519; 133.05261
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地理

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瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島を構成する大三島の南東部。現在の今治市の北端にあたる。島内では、北に盛口村、西は大三島中央の400m級の山塊を境に宮浦村岡山村に接する。東は生口島及び、鼻栗瀬戸をはさんで伯方島と対する。

村名の由来
旧村の瀬戸甘崎とから一字ずつ取った合成地名。
浜側川
古城島(無人島)

社会

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地域・集落

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大三島内の他の地域は集落が沿岸部に形成されているが、当村はゆるやかな東または南斜面であることもあって、丘陵地帯にも集落が存在している[注釈 2]

合併前の旧2か村の名をそのまま大字として継承した。合併し上浦村、上浦町になっても継承された。

瀬戸(せと)、甘崎(あまざき)

なお、現在、今治市になってからの地名表記は「上浦町」に旧の大字を続ける。大字は省く。

例 今治市上浦町瀬戸

小集落としては、下坂、出走、瀬戸、宮ノ下、大原、口狭、水場がある。

行政

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役場は当初瀬戸に、後に大字甘崎に移った。

学校

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  • 瀬戸崎小学校 - 1999年に盛、井口、瀬戸崎の3校が統合し、上浦小学校となり、旧上浦町内で1校となった。
  • 瀬戸崎中学校 - 1972年(昭和47年)に盛口、瀬戸崎の2校が統合し上浦中学校となり、さらに2015年(平成27年)大三島中と統合した。旧大三島町・上浦町内合わせて唯一の中学校。

歴史

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下記以外の歴史については大三島及び上浦町の記事を参照のこと。

藩政期には松山藩領。

瀬戸村は近藤家、甘崎村は越智家が代々庄屋を務めた。

沿革

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  • 1889年(明治22年) 12月15日 - 町村制施行により、瀬戸、甘崎の2か村が合併して、越智郡瀬戸崎村発足。役場を大字瀬戸におく。
  • 1955年(昭和30年)3月30日 – 盛口村、瀬戸崎村の2村の合併により上浦村となり、自治体としての歴史を閉じる。
瀬戸崎村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)   (昭和の合併)      (平成の合併)
            町村制施行時
瀬戸  ━━━┓
       ┣━━━瀬戸崎村━━━━┓昭和30年3月30日 昭和39年4月1日
甘崎  ━━━┛           ┃ 合体      町制施行
井口  ━━━┓           ┣━上浦村━━━━━上浦町━━┓
       ┣━━━盛口村━━━━━┛              ┃
盛   ━━━┛                          ┃
                                  ┃平成17年1月16日
                                  ┃新設合併、新・今治市発足
                           今治市━━━━╋━━今治市
                           朝倉村━━━━┫
                           玉川町━━━━┫
                           波方町━━━━┫
                           大西町━━━━┫
                           菊間町━━━━┫
                           吉海村━━━━┫
                           宮窪町━━━━┫
                           伯方町━━━━┫
                           大三島町━━━┫
                           関前村━━━━┛
(注記)今治市以下の市町村の合併以前の系譜はそれぞれの市・町・村の記事を参照のこと。

産業

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ミカン除虫菊などを産した。瀬戸内特有の寡雨な気候で、河川も小規模であるなど水利に恵まれない地域であるため、適地適作物として柑橘栽培が導入された。明治時代末に三原方面からミカン栽培が、大正初期に除虫菊が、その後たばこ草栽培が導入された。やがて、ミカン栽培が当村のほとんどの農家が手がける基幹作物となり、上浦村・上浦町となってからの昭和30年代から40年代にかけて水田からの転換も盛んに行なわれるなど、ピークに達した。

交通

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大三島または上浦町の記事を参照のこと。


名所

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脚注

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注釈

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  1. ^ 今治市の名称を引き継いだが、形態としては新設合併
  2. ^ 現在の瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)は人家をなるべく避けて海岸線から上がった丘陵地を縫うように建設されたが、そらにそれより高い位置にも集落が散見される。

出典

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典38愛媛県』角川書店、1981年10月

関連項目

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外部リンク

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