瀧尾神社 (京都市)
瀧尾神社(たきおじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社。旧社格は村社。
瀧尾神社 | |
---|---|
本殿正面 | |
所在地 | 京都府京都市東山区本町11丁目718 |
位置 | 北緯34度58分57.221秒 東経135度46分14.301秒 / 北緯34.98256139度 東経135.77063917度座標: 北緯34度58分57.221秒 東経135度46分14.301秒 / 北緯34.98256139度 東経135.77063917度 |
主祭神 |
大国主神 弁財天 毘沙門天 |
社格等 | 村社 |
創建 | 不詳 |
別名 | 多景の社(旧称) |
例祭 | 神幸祭(9月最終土曜日) |
地図 |
祭神
編集歴史
編集創建年代は不詳であるが、平安末期に書かれた『源平盛衰記』には「武鶏ノ社」という記述があることから、この頃には存在したと考えられる[1]。しかし、応仁の乱によって焼失し、吉坂に移って多景の社と改称して鎮座していた[2]。1586年(天正14年)10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿(京の大仏)を建立したことに伴って現在地に遷座した[1]。その後、宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され、社号も多景の社から現在の瀧尾神社と改称した。本殿は貴船神社奥院旧殿を移築したもので、拝殿など計8棟が京都市指定有形文化財である。[3]また、泉涌寺の僧の守るところであったともされる。
大丸との関係
編集瀧尾神社は2018年現在まで大丸との関係が深い。これは創業者である下村彦右衛門正啓が自宅のあった伏見京町から行商へ行く道中にあった神社に毎朝欠かさず参拝していたことから由来しており、後に大丸が繁栄したことから代々下村家より崇敬されてきたためである[4]。1839年(天保10年)から翌年にかけて、下村家が2500両(現在の貨幣価値で約5億円)をかけて本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎が整備された[4]。
境内
編集拝殿の天井には、江戸時代後期の彫物師である九山新太郎が製作した全長8mに及ぶ龍の木彫り像が飾られている。彫物師の九山家は当主が代々九山新之丞を名乗り、その一派は祇園祭に登場する大船鉾の龍頭も手がけたとされており、禁門の変で焼失した大船鉾を2016年に再現した際には、現・九山新之丞が船首の龍頭のモデルとして瀧尾神社の龍を参考に用いた[5]。
この龍の木彫り像はあまりにも精密に作られていたために、現地住民の間で「夜になると龍が動き出して水を飲みに行く」という噂が立ったため、神社によって逃げ出さないように金網が敷かれていたことがある(現在は金網が撤去されている)[6]。
摂末社
編集- 金刀比羅宮 (祭神:崇徳天皇)
- 瀧尾天満宮(祭神:菅原道真)
- 大丸繁栄稲荷 (祭神:稲荷大神)
- 愛宕神社 (祭神:愛宕大神)
- 妙見宮 (祭神:妙見大明神)
- 三嶋神社 (祭神:大山祇命、木之花咲耶姫、瓊々杵尊)
- 例年10月には三嶋神社の眷属がウナギとされているため、三嶋神社の祈願所で鰻放生大祭が行われる[5]
- 三社
- 門出社 (祭神:不明)
- 朝日社 (祭神:不明)
- 天満宮 (祭神:菅原道真)
現地情報
編集- 所在地
- 交通アクセス
脚注
編集出典
編集- ^ a b 瀧尾神社 - ちょっと言いたくなる 京都通 ‐ 宇治茶 伊藤久右衛門2018年4月15日 閲覧
- ^ 瀧尾神社 - 京都観光・旅行2018年4月15日 閲覧
- ^ 本殿前の京都市による由緒書きに拠る。
- ^ a b HIGASHIYAMA district | 京都 東山区 瀧尾神社 (たきおじんじゃ)2018年4月15日 閲覧
- ^ a b 龍の彫刻がスゴイ!京都のパワースポット「瀧尾神社」- トラベルジェイピー2018年4月15日 閲覧
- ^ 瀧尾神社 | 京都の観光スポット | 京都観光情報 KYOTOdesign2018年4月15日 閲覧
関連項目
編集- 福助 - 前述の下村彦右衛門がモデルとされており、瀧尾神社でも近隣の人形師によって作られた福助人形を授与品として頒布している。
- 昇龍会 神輿
- 誠龍会 奉賛 会長 奥田成親