濱瀬元彦
濱瀬 元彦(はませ もとひこ、1952年4月15日 - )は、日本のミュージシャン、ベース奏者、音楽理論・奏法書の著述家および教育者。
濱瀬元彦 | |
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生誕 | 1952年4月15日 |
出身地 | 日本 |
ジャンル | ジャズ、フュージョン |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1970年代 - 1980年代, 現在 |
公式サイト | Lung HP内の個人ページ |
経歴
編集1952年4月15日愛知県生まれ、慶応義塾大学中退。1976年よりコントラバスおよびエレクトリックベース奏者として土岐英史、鈴木勲、清水靖晃らのジャズ・グループで活動し、多数のセッション作品を残す。フレットレスベースのソロ演奏で高い評価を得、来日したジャコ・パストリアスより「会いたい」と指名されるほどであった[要出典]といわれている。1982年に実験音楽ユニット「ラーゲル」を結成し1985年まで活動する一方で、1980年代の半ばには演奏活動やセッションワークなどの表舞台からは遠ざかり、その後「消えたベーシスト」「空白のベーシスト」と呼ばれた。本人はその理由を「自分の音楽が当時の業界と折り合いが良くなかった」「自分の演奏を理解できるプレイヤーがおらず、孤立した」としている[1]。
1980年代後半から90年代前半に掛けてソロ・アルバムを5枚発表。この時期には打ち込みとベースのみというスタイルでハウスミュージックやアンビエント・ミュージックに接近していく。その一方で「株式会社ラング(Lung)」を設立、私塾形式でのプロ演奏家の指導・育成に当っていく。また、独自の音楽理論の研究に取り組み、『ベースライン・ブック』や『ブルー・ノートと調性』を上梓した。
2008年より「濱瀬元彦 E.L.F Ensemble」として演奏活動を再開。このユニットの音楽性は「人力テクノ・ジャズ」と形容される。これは濱瀬の音楽理論について著書・講演で触れた菊地成孔(後述)との交流から、菊池がゲストおよびプロデューサーとして関わることで実現したものである。
ラング・メソッド
編集濱瀬の理論は一般的なジャズ理論とも西洋クラシック音楽の和声理論とも一線を画した独自のものである。その難解さでも有名で、少なくともバークリーメソッド中級以上の理解が前提として無ければ理解は覚束無いとされる。
濱瀬はバークリーメソッドではやや扱い難いブルー・ノートの存在、および広義のブルースという音楽形態を説明するために、物理現象としては存在しない「下方倍音列」という概念を(数学における虚数のように)仮定し、その音列上でブルー・ノートが「上方4度」として存在することの証明を行った。またエドモン・コステール(Edmond Costere)の「親和性概念」をしばしば援用する。菊地成孔はこれを「ラング・メソッド」と名づけ、「カルト的」理論として茶化す一方、バークリーメソッド、およびジョージ・ラッセル(英語版)のリディアン・クロマティック・コンセプトに比肩し得る重要性を持つものとして高く評価している[2]。
ディスコグラフィー
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ソロ作
編集- 1985『レミニッセンス』
- 1986『インタリヨ』
- 1988『樹木の音階』
- 1993『アネクドート/Live at Spiral Garden '87』
- 1993『テクノドローム』
主要著作
編集- 『ベースライン・ブック』(1987, 全音楽譜出版社)
- 『ブルーノートと調性 - インプロヴィゼーションと作曲のための基礎理論』 (1992, 全音楽譜出版社)
- 『ギター・ベースのための読譜と運指の本:理論編』(1996, 全音楽譜出版社)
- 『ギターのための読譜と運指の本:実技編』(1996, 全音楽譜出版社)
- 『ベースのための読譜と運指の本:実技編』(1997, 全音楽譜出版社)
- 上記『読譜と運指の本』シリーズはリットーミュージック刊「ベース・マガジン」に1990年代前半に連載された「新しいフィンガリングシステム」「スケール・アルペジオのフィンガリング」が元となっている。
- 『チャーリー・パーカーの技法 - インプロヴィゼーションの構造分析』(2013, 岩波書店)
脚注
編集- ^ “TOWER RECORDS ONLINE 濱瀬元彦×菊地成孔 インタヴュー”. 2013年11月7日閲覧。
- ^ 『憂鬱と官能を教えた学校 - バークリー・メソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史』 菊地成孔, 大谷能生, 河出書房新社, 2004年, ISBN 4309267807 pp. 89-90