(さわき きょう、1961年7月25日 -)は、千葉県出身の推理作家立教大学法学部法学科卒(立教ミステリクラブOG、)、専攻は比較憲法

学生時代から多くの作品を同人誌へ発表し、また当時(1983年5月~1988年5月)、創元推理文庫に挟まれていた小冊子〈紙魚の手帖〉(全41号)のコーナーの一つである「女子大生はチャターボックス」(1984年5月 - 85年)に奈々村ねこ名義でゲスト出演している。ちなみにこのコーナーをレギュラーで担当していた女子大生の一人に若竹七海木智みはる名義)がいる。

以後、菊地千尋名義や、沢桔梗名義、そして澤木喬名義で、主に東京創元社刊の書籍の解説等に参加。また、いくつかの職業を経験し、教育社では『植物の世界』の編集に関わる。

その後、立教ミステリクラブの創設者である戸川安宣の目にとまり、1990年12月20日『鮎川哲也と十三の謎'90』に収録の短編「鳴神」でデビュー。5日後の12月25日には東京創元社から「創元ミステリ'90」の第10回配本として『いざ言問はむ都鳥』が刊行された。

主な著作物

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小説

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解説・他

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その他

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  • 前述の若竹七海は、立教ミステリクラブでも澤木の後輩にあたり、若竹がいわゆる「五十円玉二十枚の謎」に出逢ったときは、澤木も強い興味を示し、その解答について様々に思いを巡らせたという。『いざ言問はむ-』第2作の「ゆく水にかずかくよりもはかなきは」は、この謎を元にして書かれたものである。
  • 若竹に関して、デビュー作『僕のミステリな日常』で主人公・若竹七海が編集した真田建設コンサルタント社内報「ルネサンス」(本編には目次のみ所収)の1990年7月号37ページに「盆栽の極意 鳥取営業所長菊千尋」の名が見える。
  • また、澤木の大学での専攻は比較憲法であった、と書いたが、北村薫による単行本版『いざ言問はむ-』解説によると、澤木は同作中に「その道の人には《比較憲法をやっていた》とすぐ伝わる」ようなサインを隠している、らしい。
  • 『盤上の敵』(1999年、講談社北村薫著)末尾に、北村は「植物関係について<中略>参考とさせていただいた」として『森の博物館現物標本』(オーク・ヴィレッジ)と並んで、「菊地千尋さんのお話」を挙げている。

関連項目

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