潮崎山古墳

広島県福山市にある古墳

潮崎山古墳(しおざきやまこふん)は、広島県福山市新市町相方(さがた)にある古墳。形状は前方後円墳と推定される。史跡指定はされていない。伝出土鏡・鉄斧が広島県指定重要文化財に指定されている。

潮崎山古墳

墳丘(手前に想定前方部、左奥に想定後円部)
所在地 広島県福山市新市町大字相方
位置 北緯34度32分26.56秒 東経133度17分4.77秒 / 北緯34.5407111度 東経133.2846583度 / 34.5407111; 133.2846583座標: 北緯34度32分26.56秒 東経133度17分4.77秒 / 北緯34.5407111度 東経133.2846583度 / 34.5407111; 133.2846583
形状 (推定)前方後円墳
埋葬施設 (伝)石槨
出土品 (伝)三角縁神獣鏡・鉄斧
築造時期 4世紀
史跡 なし
有形文化財 伝出土鏡・鉄斧(広島県指定文化財)
地図
潮崎山古墳の位置(広島県内)
潮崎山古墳
潮崎山古墳
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概要

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伝出土三角縁神獣鏡(複製)
みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)展示。

広島県東部、芦田川南岸において芦田川・神谷川の合流点を見下ろす丘陵上に築造された古墳である。江戸時代後期の文政10年(1827年)に発掘されているが(『西備名区』)[1][2]、これまでに発掘調査は実施されていない。

墳丘は大きく削平を受けているため墳形は明らかでないが、前方後円形と推定され、墳丘長30メートル・後円部直径17メートル程度と見積もられる[1]。埋葬施設は、『西備名区』の記述によれば石槨とされる[1]。副葬品としては、江戸時代の発掘の際に三角縁神獣鏡・鉄斧が出土したと伝わる。築造時期は古墳時代前期の4世紀代と推定され[3]、備後地方における代表的な初期古墳(備後地方最古の前方後円墳か)として重要視される古墳になる[1][2]

伝出土鏡・鉄斧は19811982年昭和56・57年)に広島県指定重要文化財に指定された[3]。現在では想定後円部の墳頂に千葉修理之進の墓が建立されている。

文化財

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広島県指定文化財

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  • 重要文化財(有形文化財)
    • 伝潮崎山古墳出土三角縁五神四獣鏡及び短冊型鉄斧(考古資料) - 1981年(昭和56年)11月6日指定、1982年(昭和57年)2月23日に追加指定・名称変更[3]
      • 三角縁五神四獣鏡 - 直径22.0センチメートル、厚さ0.2-0.3センチメートル[3]国分寺古墳鳥取県倉吉市)出土鏡と同笵[2]
      • 短冊型鉄斧 - 長さ24.8センチメートル、幅頭部5.5センチメートル、幅中央部6.0センチメートル、幅刃部7.0-7.5センチメートル、厚さ1-4センチメートル[3]

脚注

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  1. ^ a b c d 潮崎山古墳(古墳) 1989.
  2. ^ a b c 史跡説明板。
  3. ^ a b c d e 伝潮崎山古墳出土三角縁五神四獣鏡及び短冊型鉄斧(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。

関連施設

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参考文献

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  • 史跡説明板(福山市教育委員会設置)
  • 小都隆「潮崎山古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 「潮崎山古墳」『新市町史 資料編I』広島県芦品郡新市町、2002年。 

外部リンク

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