滋野 善根(しげの の よしね)は、平安時代初期から前期にかけての貴族官位従四位下少納言

 
滋野善根
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従四位下少納言
主君 文徳天皇清和天皇陽成天皇
氏族 滋野氏
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経歴

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文徳朝仁寿4年(854年従五位下叙爵する。斉衡3年(856年)2月に中務少輔に任ぜられるが、7月には肥前守として地方官に転じる。その後、天安元年(857年)11月に河内権守、天安2年(858年)正月に河内守に遷っている。

清和朝に入ると、天安3年(859年宮内少輔貞観3年(861年民部少輔と京官を務めるが、貞観4年(862年美濃守として再び地方官に転じる。貞観9年(867年大判事に遷ると、貞観10年(868年)従五位上・大蔵少輔に叙任されるなど、清和朝中盤は京官を務めるが、貞観12年(870年信濃守とみたび地方官に遷った。

陽成朝では少納言兼侍従として天皇の身近に仕え、元慶3年(879年正五位下、元慶7年(883年)従四位下と昇進を果たしている。

官歴

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六国史』による。

脚注

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参考文献

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