源正清
源 正清(みなもと の まさきよ、承平元年(931年)[1] - 没年不詳)は、平安時代中期の貴族。醍醐天皇の孫で、大宰帥・有明親王の次男。官位は正四位下・摂津守。
経歴
編集円融朝の天禄4年(973年)左近衛中将に任ぜられる。天延2年(974年)円融天皇の中宮・藤原媓子の中宮権亮を兼ねると、貞元2年(977年)には蔵人頭に任ぜられるが、永観2年(984年)円融天皇の譲位に伴って蔵人頭を辞任する。
寛和2年(986年)一条天皇の即位に伴って、居貞親王(のち三条天皇)が春宮に立てられると春宮亮を兼ねる。永祚2年(990年)17年に亘って務めた左近衛中将を解かれ、摂津守に転じた。
官歴
編集系譜
編集『尊卑分脈』による。