源包

平安時代初期の貴族。従四位下・信濃守、民部大輔

源 包(みなもと の つつむ)は、平安時代初期の貴族嵯峨源氏大納言源定の子。官位従四位下信濃守

 
源包
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従四位下信濃守
主君 文徳天皇清和天皇陽成天皇
氏族 嵯峨源氏
父母 父:源定、母:不詳
兄弟 、宥、
不詳
菅原資忠
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経歴

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文徳朝末の斉衡3年(856年従五位下叙爵天安2年(858年清和天皇践祚後に中務少輔に任ぜられると、同年11月に天皇の即位を告げるために嵯峨山陵に派遣され、翌貞観元年(859年)の大嘗祭では次第司次官を務めた。貞観2年(860年)従五位上に叙せられると、清和朝前半は治部大輔、後半は木工頭と京官を歴任している。

貞観19年(877年陽成天皇即位に伴う叙位にて正五位下に昇叙されるが、翌元慶2年(878年信濃守として地方官に転じた。のち、時期は不明ながら従四位下に至る。

官歴

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注記のないものは『六国史』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『尊卑分脈』

参考文献

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