満 偉(まん い)は、中国三国時代の政治家。公衡本貫兗州山陽郡昌邑県。父は満寵。子は満長武。妹は司馬榦の妃。

満偉

衛尉・昌邑侯
出生 生年不詳
兗州山陽郡昌邑県
拼音 mǎn wěi
公衡
主君 曹芳曹髦
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事績

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正始3年(242年)、父の満寵が亡くなると、昌邑侯の爵位を継いだ。満寵と同じく身長は八尺に達し、品格のあることで名を知られた。

嘉平6年(254年)、皇帝曹芳廃位の上奏文に、衛尉・昌邑侯として名を連ねている[1]

甘露2年(257年[2]諸葛誕の乱が勃発するが、満偉は病により従軍せず、子の満長武も見舞いのため早々に軍を離れたことで、司馬昭の恨みを買った。

甘露5年(260年[2]甘露の変に際し、満長武は城門を守っていたが、司馬榦らの入城を拒否したことで杖刑を受け、殺害された。満偉もまた連座して免職となり、庶人に落とされた。人々は冤罪として同情を寄せた。

出典

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脚注

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  1. ^ 『三国志』魏書 斉王紀注『魏書s:zh:三國志/卷04#齊王
  2. ^ a b 『三国志』魏書 高貴郷公紀 s:zh:三國志/卷04#高貴鄉公