湯浅秀樹
日本の海上自衛官、第51代自衛艦隊司令官
湯浅 秀樹(ゆあさ ひでき、1964年(昭和39年)2月3日[1] - )は、日本の海上自衛官。第51代自衛艦隊司令官。
湯浅海将 | |
生誕 |
1964年2月3日(60歳) 日本 徳島県 |
所属組織 | 海上自衛隊 |
軍歴 | 1986年 - 2022年 |
最終階級 | 海将 |
除隊後 | 三菱電機株式会社顧問 |
略歴
編集徳島県出身。防衛大学校(第30期)を卒業後、海上自衛隊に入隊。 職種は水上艦艇で、入隊後は主に護衛艦や海上幕僚監部等で勤務し、第2護衛隊群司令在任中の2013年(平成25年)には米国における統合訓練「ドーン・ブリッツ13」で自衛隊側の訓練統制官を務めた[2]。また、掃海隊群司令在任中には同群の水陸両用戦部隊改編に携わった。その後は海上自衛隊幹部学校長を務めたのち、第39代護衛艦隊司令官を経て、2020年(令和2年)8月7日の閣議において、8月25日付をもって自衛艦隊司令官に任命する旨の人事が了承・発令された[3]。2022年(令和4年)12月23日付で退官[4][5]。
年譜
編集- 1986年(昭和61年)3月:防衛大学校第30期(電気工学)卒業、海上自衛隊入隊
- 2000年(平成12年)7月:2等海佐
- 2001年(平成13年)3月:海上幕僚監部防衛部装備体系課勤務
- 2002年(平成14年)8月:護衛艦「みねゆき」艦長
- 2003年(平成15年)8月:防衛研究所所員
- 2004年(平成16年)7月:海上幕僚監部人事教育部補任課勤務
- 2005年(平成17年)1月:1等海佐
- 2007年(平成19年)
- 8月:海上幕僚監部防衛部装備体系課勤務
- 12月:海上幕僚監部防衛部装備体系課艦船体系班長
- 2008年(平成20年)12月1日:第14護衛隊司令
- 2010年(平成22年)
- 3月25日:海上幕僚監部人事教育部補任課服務室長
- 8月20日:海上幕僚監部人事教育部補任課長
- 2011年(平成23年)12月1日:海将補に昇任、第2護衛隊群司令
- 2013年(平成25年)12月3日:練習艦隊司令官
- 2014年(平成26年)12月15日:防衛大学校訓練部長
- 2016年(平成28年)3月23日:掃海隊群司令
- 2017年(平成29年)12月20日:海将に昇任、海上自衛隊幹部学校長
- 2019年(平成31年)4月1日:第39代 護衛艦隊司令官に就任
- 2020年(令和 2年)8月25日:第51代 自衛艦隊司令官に就任
- 2022年(令和 4年)
- 6月2日:日仏両国の連携強化への功績として、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章[6][7]
- 12月23日:退官[5]
- 2023年(令和 5年)4月1日:三菱電機株式会社顧問に就任[8]
栄典
編集- レジオンドヌール勲章シュヴァリエ - 2022年(令和4年)6月2日[6]
出典
編集- 防衛省人事発令(2008~2010 1佐人事)(2011~2016将補人事) (2016~2022将人事)
脚注
編集- ^ 海上自衛新聞(平成29年12月15日)第3面・主要人事略歴
- ^ 統合幕僚監部HP 米国における統合訓練(ドーン・ブリッツ13)の概要
- ^ 防衛省発令(将人事)(2020年8月25日付)
- ^ 防衛省発令(将人事)(2022年12月23日付)
- ^ a b 海上自衛隊 自衛艦隊(公式) [@JMSDF_SDF] (2022年12月23日). "12月23日、自衛艦隊は、自衛艦隊司令官離着任行事を行い、自衛艦隊司令官が湯浅秀樹海将から齋藤聡海将に交代しました。湯浅海将は、36年余りの海上自衛官生活に終止符を打ちました。". X(旧Twitter)より2022年12月23日閲覧。
- ^ a b 海上自衛隊 自衛艦隊(公式) [@JMSDF_SDF] (2022年6月3日). "6月2日、自衛艦隊司令官 湯浅秀樹海将は、日仏両国の連携強化への功績として、レジオン・ドヌール勲章を受章しました。". X(旧Twitter)より2022年6月3日閲覧。
- ^ 防衛省・自衛隊 [@ModJapan_jp] (2022年6月2日). "【鬼木防衛副大臣の動静】". X(旧Twitter)より2022年6月3日閲覧。
- ^ 自衛隊法第65条の11第5項の規定に基づく自衛隊員の再就職状況の報告(令和5年4月1日~同年6月30日分) (PDF)
外部リンク
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