湯浅正寿

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将

湯浅 正寿(ゆあさ まさひさ、?~寛永10年(1633年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将豊臣氏藤堂氏の家臣。通称は茂左衛門。

略歴

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湯浅直勝の子として誕生。母は織田長益(有楽斎)の娘。

豊臣秀頼に知行3千石で仕えた。大坂冬の陣では二の丸南方と真田丸の背後を兵2千人を率いて守備した。天王寺・岡山の戦いでは毛利勝永寄騎として奮戦する。大坂落城後に藤堂高虎に招かれ、3千石を領した。

寛永10年(1633年)に死去。

子の助左衛門(丹後)は、美作国津山藩主・森忠政に仕えた。その娘・継光院(正寿の孫)は忠政の養子・長継の側室になって後の三日月藩祖・森長俊を産む。[1]

脚注

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  1. ^ 湯浅博物館

参考資料

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藤堂高虎家臣辞典

「大坂の役」‐旧参謀本部編纂、桑田忠親山岡荘八監修。