温泉津温泉
温泉津温泉(ゆのつおんせん)は、島根県中央部の大田市温泉津町に、当地が石見国と呼ばれていた時代から湧出してきた温泉である。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている[3]。また港町でもある当地は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されている[4]。
温泉津温泉 | |
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温泉街と温泉津湾 | |
温泉情報 | |
所在地 |
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座標 | 北緯35度05分47.5秒 東経132度20分59.9秒 / 北緯35.096528度 東経132.349972度座標: 北緯35度05分47.5秒 東経132度20分59.9秒 / 北緯35.096528度 東経132.349972度 |
交通 | 山陰本線の温泉津駅よりコミュニティバスで約8分[1]、徒歩約15分[2] |
泉質 | ナトリウム-食塩泉[2] |
泉温(摂氏) | 源泉により異なる |
外部リンク | 温泉津町観光協会 |
泉質
編集温泉街
編集温泉津港から山側に伸びる温泉街は、温泉津駅からは少し離れており、賑やかな歓楽街などが見られず、鄙びた日本旅館が両側に立地する静かな街並みである。この古風な温泉街は2004年7月に「温泉津町温泉津伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された[注釈 1]。温泉街としては初めての選定である[注釈 2]。
また、温泉津は中世から近代にかけて隆盛を誇った石見銀山で採掘された銀の輸出港でもあった。そのため、同港町は日本国内14例目の世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を受けた。
共同浴場は温泉街に「元湯泉薬湯」と「薬師湯」の2軒の湯元と温泉津駅近くに「小浜温泉才市の湯」の3個所存在する[5]。前者は湯温は高いが、元湯泉薬湯は改装後の2020年に「ぬる湯」浴槽を設けた[2]。両浴場はごく近接した位置で湧出する泉源を用いているものの、全く別の泉源であり、その泉質には相違が見られる。
薬師湯は2005年9月付けで、日本温泉協会の新基準による審査の結果、全項目「オール5」の最高評価の天然温泉として認定された。
元湯泉薬湯は開湯時からの源泉を利用しており、他の旅館等へ分湯する程の湯量が無い。引湯道を隔てて向かい合う古風な3階建て木造旅館は元湯の直営であるが、館内に内湯は無く、共同浴場に通うという昔ながらの湯治場のスタイルを維持している。
伝説・歴史
編集伝説
編集開湯は古く1300年前と伝えられ、伝説では大きなタヌキが入浴していたために発見されたとされる。
歴史
編集温泉津は戦国時代や江戸時代は、石見銀山で産出した銀の積出港として温泉津港が利用された。また、温泉津は山陰道(山陰街道)の宿場町の1つでもあった。遅くとも、これらの時代までには、温泉津の温泉への入浴も行われていた。この源泉が「元湯泉薬湯」の源泉である。
さらに、明治維新後の1872年に発生した浜田地震により、別の源泉が湧出を始めた。この地震によって湧出した源泉を「薬師湯」は利用しているため、別名「震湯」とも呼ばれる。従前は「藤乃湯」だったが、その湯量と、温泉の守りとして薬師如来を祀っている事などから「薬師湯」と改名した。
その後、これら2つの源泉とは離れた位置に、別の源泉が掘られ「小浜温泉才市の湯」が作られた。
また、温泉街は1974年公開された松竹映画の『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』の舞台として使用された。
アクセス
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 2006年12月に、保存地区の名称を「大田市温泉津伝統的建造物群保存地区」に改称した。2009年12月には選定区域が拡大され、港と岬を含む地区が追加選定された。
- ^ 当初は港町としての選定だったが、後に温泉町という項目も設けられた。
出典
編集- ^ a b 太田市生活バス 温泉津線 時刻表(平成27年3月14日改正)2021年2月20日閲覧
- ^ a b c d e 【湯の心旅】温泉津温泉(島根県)激アツ湯で回復力シャキッ『日本経済新聞』朝刊2021年2月20日別刷りNIKKEIプラス1(9面)
- ^ 国指定文化財等データベース
- ^ 文化遺産オンライン
- ^ 共同浴場 温泉津めぐり
関連項目
編集外部リンク
編集- 薬師湯・温泉津温泉
- 温泉津めぐり
- 静かな温泉街の温泉津温泉を歩く 島根県大田市 - YouTube(朝日新聞社提供、2018年3月18日公開)
- 大田市温泉津 - 島根まるごとミュージアム