渡部肆郎
渡部 肆郎(わたなべ しろう、1904年(明治37年)8月[1] - 1963年(昭和38年)12月14日[2])は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡北道知事。
経歴
編集渡部春吉の二男として愛媛県温泉郡に生まれる[1]。1926年(大正15年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し、朝鮮総督府に奉職する[1]。逓信事務官保険運用課長、拓務書記官管理局地方課長、殖産局商工、物資調整、鉱務各課長、企画部第二物資調整第一課長、総督官房文書課長兼国勢調査課長を経て、1942年(昭和17年)10月、司政局地方課長に就任した[1]。のち咸鏡北道知事に任じた[3]。
脚注
編集- ^ a b c d 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮116頁.
- ^ 「渡部 肆郎氏(肥料輸出入協議会常任理事)」『読売新聞』1963年12月16日、15面。
- ^ 『朝鮮総督府咸鏡北道知事渡部肆郎陞叙の件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和25年5月12日。
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。