渡辺汀
日本の海軍軍人、政治家、華族
渡辺 汀(わたなべ みぎわ、旧字体:渡邊 汀、1883年(明治16年)9月1日[1] - 1945年(昭和20年)2月5日[1][2])は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍大佐。貴族院男爵議員。旧姓・瀧口[1][3]。
経歴
編集長崎県で瀧口素平の二男として生まれ、元老院議官・渡辺清の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1905年(明治38年)1月16日に男爵を襲爵した[1][4]。
1905年11月28日、海軍兵学校(33期[5])を卒業し[6]、1906年(明治39年)12月20日、海軍少尉に任官した[6]。海軍砲術学校、海軍水雷学校で研鑽を積んだ[2][3]。筑摩分隊長、相模分隊長、香取分隊長、曙駆逐艦長、尼港占領連合陸戦隊参謀兼副官、朝日砲術長兼砲術学校教官などを歴任[2]。海軍大佐に進み、1927年(昭和2年)予備役に編入された[2][3]。
1931年(昭和6年)1月17日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[2][7][8]、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した[2][9]。その他、国家総動員審議会委員、内務省委員、泰東書道院副会長などを務めた[2][3]。
栄典
編集親族
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、862-863頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』88頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、ワ50頁。
- ^ 『官報』第6462号、明治38年1月17日。
- ^ a b 『日本海軍士官総覧』150頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』116頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
- ^ 『官報』第1214号、昭和6年1月19日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
- ^ 『官報』第5245号「叙任及辞令」1944年7月10日。
- ^ 『華族畫報』下、944頁。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』下巻、社団法人霞会館、1996年。
- 海軍義済会編、戸高一成監修『日本海軍士官総覧』柏書房、2003年( 「海軍義済会員名簿(昭和十七年七月一日調)」(海軍義済会、昭和18年刊)の復刻版)。
- 杉謙二編『華族畫報』下、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 渡辺清 |
男爵 渡辺(清)家第2代 1905年 - 1945年 |
次代 渡辺鎮信 |