渡辺孝男 (実業家)
渡邉 孝男(わたなべ たかお、1929年3月4日[1][2] - 2014年9月21日[3])は日本の実業家、馬主。馬主登録上の表記は渡辺 孝男。
わたなべ たかお 渡辺 孝男 | |
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『月刊印刷時報』第272号(1967年)掲載写真 | |
生誕 |
1929年3月4日[1][2] 日本 東京都[2] |
死没 |
2014年9月21日(85歳没)[3] 日本 |
職業 | |
肩書き |
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子供 | 渡辺 公美子(次女) |
経歴
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印刷産業に従事[4][5]。株式会社コムテックス(旧・大阪ヤマトヤ商会)代表取締役会長[4][5][6][2]、グラフイックリース株式会社代表、株式会社プリンティングメディア代表などを歴任した。
馬主活動
編集日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主として知られた。勝負服の柄は色の三原色に由来する[7]黄、赤袖、水色二本輪。冠名に用いる「アグネス」[8][9][5]は、渡辺の娘2人が歌手のアグネス・チャンのファンだったことに由来し[9]、長女の希望で命名するようになった。馬名の画数は必ず奇数となるように名付けている。また、1990年時点では馬名も娘に決めさせていた[8]。馬主資格取得は1971年[2]。
妻に先立たれ[2][8]、家族との話題作りのため競馬に力を入れるようになったといい[8]、1979年、アグネスレディーが優駿牝馬を制した[1]ことにより八大競走およびクラシック初勝利を挙げた[2]。
なお、孝男の没後は次女である渡辺公美子が跡を継いでおり、2022年現在も馬主業を続けている。
競馬で獲得した賞金のなかから国立循環器病センターへの寄付を行っている[5][10]。
主な所有馬
編集八大競走・GⅠ級競走優勝馬
編集- アグネスレディー(1979年優駿牝馬、エリザベス女王杯2着、1980年京都記念・春、朝日チャレンジカップ)
- アグネスフローラ(1990年桜花賞、優駿牝馬2着)
- アグネスワールド(1997年函館3歳ステークス、全日本3歳優駿、1999年アベイ・ド・ロンシャン賞、CBC賞、スプリンターズステークス2着、2000年ジュライカップ、スプリンターズステークス2着)
- アグネスデジタル(1999年全日本3歳優駿、2000年マイルチャンピオンシップ、名古屋優駿、ユニコーンステークス、2001年マイルチャンピオンシップ南部杯、天皇賞・秋、香港カップ、日本テレビ盃、2002年フェブラリーステークス、2003年安田記念)
- アグネスフライト(2000年東京優駿、京都新聞杯)
- アグネスタキオン(2000年ラジオたんぱ杯3歳ステークス、2001年皐月賞、弥生賞)
重賞競走優勝馬
編集- アグネスホープ(1978年毎日杯)
- アグネスプレス(1979年小倉大賞典、1980年スワンステークス)
- テキサスワイポン(1979年阪神障害ステークス・秋、1981年京都大障害・秋、中山大障害・秋)
- アグネステスコ(1981年神戸新聞杯、エリザベス女王杯)
- アグネスベンチャー(1981年CBC賞、1982年スワンステークス)
- アグネスパレード(1994年チューリップ賞)
- アグネスカミカゼ(1997年目黒記念)
- アグネスゴールド(2001年きさらぎ賞、スプリングステークス)
- アグネスウイング(2004年シリウスステークス)
- アグネスジェダイ(2005年サマーチャンピオン、東京盃、2006年さきたま杯、北海道スプリントカップ、クラスターカップ、2007年北海道スプリントカップ)
- アグネスラズベリ(2007年函館スプリントステークス)
その他の所有馬
編集著書
編集- 『営業革命 - 本物の「営業」が時代を変える』(青龍社、1998年。ISBN 978-4882588092)[5]
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 『優駿』、日本中央競馬会、1990年5月、62頁。
- ^ a b c d e f g 『優駿』、日本中央競馬会、2000年7月、86頁。
- ^ a b c “【訃報】コムテックス代表取締役会長の渡邉孝男氏”. 印刷業界ニュース. 印刷時報株式会社 (2014年9月26日). 2015年4月26日閲覧。
- ^ a b “イベント情報「印刷産業の巨匠・渡辺孝男氏が業界歴50年を語る」”. 印刷タイムス. 印刷之世界社 (2009年9月21日). 2012年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e “サポーターズ 渡辺 孝男”. 三共プリンテック. 2009年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月27日閲覧。
- ^ “会社概要”. コムテックス. 2012年1月13日閲覧。
- ^ 『優駿』、日本中央競馬会、2000年7月、88頁。
- ^ a b c d 『優駿』、日本中央競馬会、1990年5月、64頁。
- ^ a b 『優駿』、日本中央競馬会、2000年7月、87頁。
- ^ 『優駿』、日本中央競馬会、2000年7月、89頁。