清輝楼 (京都市)
歴史
編集清輝楼は、江戸時代末期(幕末)に薩摩藩の西郷隆盛が禁門の変の直前に、いわゆる「血涙会議」と呼ばれる大演説を行い、諸藩に長州藩討伐を訴えた場所としても知られている。
1900年(明治33年)に中川小十郎によって設立された京都法政学校(現在の立命館大学)が、京都帝国大学(現在の京都大学)の教授陣を講師として迎え、清輝楼の二階を間借りして授業を行っていた。1901年(明治34年)、広小路校地(上京区広小路通河原町(中御霊町410番地))に移転するまで、ここで300名を超える学生が法律や政治を学んだ。
後には料亭の大和屋(やまとや)と名を替えて営業を続け、1997年(平成9年)に閉店。現在その跡地には「立命館草創の地」と銘打った記念碑が置かれている。