清原道雄
清原 道雄(きよはら の みちお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は通雄とも記される[1]。肥後守・清原有雄の子。子に海雄がいる[2]。官位は従五位下・駿河守。
時代 | 平安時代初期-前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 通雄 |
官位 | 従五位下、駿河守 |
主君 | 文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 清原氏 |
父母 | 父:清原有雄 |
子 | 海雄 |
経歴
編集斉衡4年(857年)従五位下・大学頭に叙任される。天安2年(858年)11月に清和天皇の即位に伴って宮内少輔に任ぜられるが、翌天安3年(859年)正月には早くも上野介として地方官に転じる。
官歴
編集『六国史』による。
系譜
編集- 父:清原有雄(?-858)
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:清原海雄